観るのも演るのも日々是好日!

演劇界に生きる男の観劇記録

SPAC-静岡県舞台芸術センターで俳優やってます!

倉敷幼稚園→粒江幼稚園→粒江小学校→倉敷南中学校→総社南高等学校→大阪教育大学

関心あるモノ・コト = 演劇/LEGO/昭和歌謡からJ-POP/字を書くこと/フィギュアスケート鑑賞/温浴施設めぐり/乗り鉄/旅行/睡眠

  • サルメカンパニー&クリオネプロデュース『12人のヒトラーの側近』@吉祥寺シアター
    【2025/4/15 12:00〜14:30(途中7分間の休憩あり)】

    第一次世界大戦後、ヒトラーがどのようにして誕生し、どのように滅んでいったのかを、1923年(第一部)、1934年(第二部)、1945年(第三部)と、3つの時代を抜き出して、ヒトラーの周囲の人物たちを通して描いた大作。ヒトラーに傾倒した12人の側近たち(と、ヒトラーの愛人とゲッベルスの妻)が出てくる。
    テーマがテーマだけに、作品内容に関して何かを述べるには、まだまだ自分の中で咀嚼する時間が必要かも。「反戦」とか「ユダヤ人虐殺に対する考察」みたいな側面も、もちろんあるにはあるのだが、もう少し広い視野で描かれた作品、とも言えるだろう。

    作・演出は、ゲッベルス役でも出演している石川湖太朗氏。音楽は、ドラムとピアノとサックスからなる生演奏(出演俳優も演奏している)。途中で7分間の休憩が入るものの、その間も演奏は続き、俳優たちによる舞台転換が行われる。
    ヒトラーはトルソーで表され、舞台上に象徴的に置かれる。(第三部では、地下室に居るということで、観客からは見えなくなる)

    予備知識が無いと、観始めてしばらくは情報を整理するのに追われ、エモーショナルな(吐き出し系の)セリフの俳優が多いこともあり、語られている内容を理解するほうへの集中にかなり引っ張られるのだが、ゲーリング役の近藤隼さんが出てくるあたりから芝居全体の雰囲気が少しずつ変わり、ゲッベルス役の石川湖太朗さんが出てくる頃には、自ずと舞台に引き込まれていった印象。

    ゲーリング役の近藤さんは、悪魔的な役回りのポジションで、笑顔の穏やかさの裏で、他人の弱みを武器に操っていく。最初に出てきた時から、「場を掌握する空気」が醸し出されていて、ヒトラーの後継者と呼ばれた人物を好演。
    セリフのプランが巧みで、「そのセリフから、どうやったらその言い方が思いつくんだろう」というセリフが次々と繰り出される。「人たらし的」というか、いたずらっ子っぽい感じや愛嬌を見せるような朗らかさなのに、やってることは冷酷な感じ。
    特に、ゲッベルスとヒムラー(遠藤広太)を相手に、長いセリフを喋る場面が、とぼけた感じで嘘をつき、言葉巧みに相手の隙を突き、秀逸すぎた。

    ゲッベルス役の石川さんは、もう「目がイッちゃってる」感じで、「敵に回すと絶対怖い」感じを体現。役に対する想い入れの強さも相当あるからこそだと思うのだが、でも、その想いが空回りすることなく、きちんと自分の中に落とし込んであって、自身の感受性や五感を、ゲッベルスとしての正義に振り切っている。イタコ的とは違う感じの「憑依型」。セリフが吐き出し系になったとしても、ちゃんと語れるのも良い。

    あと、音楽を担当してピアノも弾き、ゲッベルスの妻を演じた小黒沙耶さんが、役としての出番は少ないながらも、とても良かった。
    ソロでピアノを弾きながらセリフを訥々と語る場面は何気にスゴイことやってるし、子どもたちを毒殺したあとでゲッベルスとトランプする場面の、放心状態で焦点が合っていないような、でも夫に向けて静かに語るセリフがめちゃくちゃ伝わってくるものがあって、良かった。

    そのほかの俳優たちも、役をちゃんと生きている感覚があって、セリフや演技で多少惜しい部分があったとしても、それすらも、「役柄の個性」になっている印象で、舞台の熱量やクオリティは高かった。
    舞台空間、道具や演奏エリアの配置、舞台奥の電動シャッターの使い方なども巧みで、素直に「ああ、巧いな」と思わせる演出。次回作にも期待が高まる。


    サルメカンパニー&クリオネブロデュース
    『12人のヒトラーの側近』
    作・演出 石川湖太朗

    ルドルフ・ヘス 國島直希
    アルベルト・シュペーア 正木郁
    ヨーゼフ・ゲッベルス 石川湖太朗
    オットー・ギュンシェ 松村優
    ヘルマン・ゲーリング 近藤隼
    ヴィルヘルム・モーンケ 浅井浩介
    ヘルマン・フェーゲライン 大西遵
    マルティン・ボルマン 柴田元
    エルンスト・レーム 小島久人
    ハインリヒ・ヒムラー 遠藤広太
    マクダ・ゲッベルス 小黒沙耶
    エヴァ・ブラウン(B) 西村優子
    エヴァ・ブラウン(A) 遠藤真結子
    ディートリッヒ・エッカート 神農直隆
    演奏 藤川航(sax)、Tomo Idei (drum)

    音楽 小黑沙耶
    美術 阿部一郎
    照明 鷲崎淳一郎(Lighting Union)
    音響 田中亮大(Paddy Field)
    映像 宇野雷蔵
    振付・ステージング 宮河愛一郎
    時代考証 今井由希 (Costume Classics)
    衣裳 山田怜美
    衣裳協力 摩耶デザインオフィス
    衣裳進行 西村優子
    ヘアメイク 三浦光絵
    小道具 遠藤広太、東宝舞台小道具
    演出助手 詠良カノン、鷲見友希
    舞台監督 新井和幸(箱馬研究所)
    宣伝美術 かまだゆうや
    宣伝撮影 藤川直矢
    映像収録 西川昌吾(TWO-FACE)
    WEB 牛若実(UC-WORKER)
    票券 Mitt
    キャスティング協力 高野重美(クィーンビー)
    宣伝協力 吉田プロモーション
    パンフレット編集・文 鈴木哲也(オフィス・マキノ)
    制作 大森晴香、遠藤真結子
    プロデューサー 渡辺順子

    協力 太田プロダクション、ユークリッド・エンターテイメント、エイベックス・マネジメント・エージェンシー、UAM、ハイエンド、藤井美穂、ベーター・ゲスナー

    企画協力 サルメカンパニー
    主催・企画・製作 クリオネ

    2025年4月12日〜4月15日 吉祥寺シアター

  • チーム徒花『月曜日の教師たち』@ザ・スズナリ
    【2025/4/14 18:30〜20:30(途中休憩なし)】

    2021年末の『徒花に水やり』から2年越しの、チーム徒花の新作は5人の劇作家(岩松了、桑原裕子、千葉雅子、土田英生、早船聡)が分担して書いた戯曲を、その5人が演出し、その5人に新宿梁山泊の荒澤守さんが加わって出演しての上演。

    とある小さな島の中学校、その休憩室(兼 物置)が舞台。教師と保護者の恋愛、借金と盗難騒ぎ、教師間の嫉妬と優越感、それぞれが抱える生活上の問題…などなどが絡み合いながら物語は進んでいく。
    各教師の設定や教師同士の関係性が面白く、観ていて飽きない。好青年教師を装っていたワタリ(荒澤守)が最終的に警察に連行されてしまう展開を迎えたり、泥棒や裏サイトへの書き込みをはじめとする様々な犯人探しもあったりして、推理モノっぽい要素も含んだ展開。

    5人の作家の書き分けがシームレスで、良い意味で「誰がどこを担当して書いていたのか見えない」出来栄え。俳優としての5人プラス1人の、演技の質感の混ざり具合も良き塩梅。(アフタートークによると、連日セリフの変更が発生していたそうなので、千穐楽まで作品に対する推敲が続いていたっぽい…)

    その一方で、「明らかに土田さんっぽいシチュエーション」とか、「岩松さんっぽい展開」みたいなところも。そして、わりと「岩松了テイスト」が感じられる仕上がりでもあったので、あの「不条理ともまたちょっと違う、曖昧模糊とした作風」に対しては、好みが分かれる気も。
    犬が重要な役割を果たす存在でありながら、当然ではあるがセリフでしか出てこないので、犬の存在をもう少し近くに感じたかったところ。

    桑原さんと土田さんの切れ味ととぼけ具合と、千葉さんのテンションの緩急具合が印象的。岩松さんのガウディも、良いのだけど必要以上にミステリアスな存在すぎて、若干、我が道を行く状態にも感じられ…

    荒澤さんもイマドキな感じの二面性を上手く演じていたが、実直さがやや強すぎたか。二股不倫とかを器用にやれそうにない感じで、「嘘くさい実直さ」を垣間見せてほしかったような。
    そして彼を起用するなら、もう少しアングラ的な盛り上がりの見せ場があっても良かったかも。ただの「若手男優代表枠」みたいになってしまっていたのも、少しもったいない。(普通のリアリズム芝居をやっている姿を見られた、という点で貴重ではあるのだがw)


    千葉雅子×土田英生舞台製作事業
    『月曜日の教師たち』
    作・演出 岩松了、桑原裕子、千葉雅子、土田英生、早船聡

    ガウディ/美術教師 岩松了
    ワタリ/英語教師 荒澤守
    ヨーコ/体育教師 桑原裕子
    アイザワ/社会科教師 千葉雅子
    高見沢/英語教師 土田英生
    二ノ宮/数学教師 早船聡

    舞台美術 加藤登美子
    照明 渥美友宏
    音響 島貫聡
    衣裳 中西瑞美
    演出助手 朝倉エリ
    舞台監督 藤田有紀彦
    演出部 田原愛美
    大道具 箱馬倶楽部、美術工房拓人
    小道具 高津装飾美術
    運搬 大松運輸、帯瀬運送
    舞台写真撮影 明田川志保
    イラスト 川崎タカオ
    宣伝美術 西山榮一
    WEB 沖本好生
    制作助手 加藤じゅんこ
    制作 垣脇純子、大橋さつき

    制作協力 サンライズプロモーション東京
    音響協力 内野智子
    協力 太田プロダクション、新宿梁山泊、純牛倶楽部、KAKUTA、東宝芸能、ザズウ、猫のホテル、キューブ、MONO、サスペンデッズ、SORIFA、青木香澄、今井由紀、うえはらえみ、浦田亜紀奈、小澤関子、柿原寛子、柴田鷹雄、スガ・オロペサ・チヅル、農汰、高見駿、ながはまかほり、西邨紀子、松下城支、松森モヘー、南十和子、三森麻美、宮澤寿、武藤香織、めいな、森まんぼー、安井和恵、山添賀容子、渡辺啓太、わたなべゆみこ

    助成 文化庁文化芸術振興費補助金(舞台芸術等総合支援事業(公演創造活動))、独立行政法人日本芸術文化振興会
    企画 チーム徒花
    製作・主催 キューカンバー

    2025年4月3日〜4月15日 ザ・スズナリ

  • M&Oplaysプロデュース『鎌塚氏、震えあがる』@世田谷パブリックシアター
    【2025/4/8 18:00〜20:15(途中休憩なし)】

    三宅弘城さん扮する執事・鎌塚アカシが登場するシリーズものの第7弾。初回は2011年で、前回は2022年。作演出は倉持裕氏。(なお、毎公演、大都市以外の地方公演が組まれているようだが、何故か島根県だけは全シリーズ公演しているもよう)
    これまでのシリーズは未見で、「シリーズものである」ということもあまり理解してなかったのだが、出演者の顔ぶれで観劇を即決。天海祐希さん、池谷のぶえさん、藤井隆さん、ともさかりえさんの揃い踏みに加え、朝ドラ『虎に翼』の玉ちゃんを好演していた羽瀬川なぎさんと来れば、これはもう見届けないわけには…w

    3つの家の貴族と各執事が繰り広げる「ホラーコメディなホームドラマ」といった趣きで、俳優たちはみな、心から楽しそうにのびのびと演じていて、それぞれの魅力や能力を遺憾無く発揮。「俳優を観たい」「現実から離れて楽しみたい」という要望に十全に対応したような舞台。
    盆舞台を活かした演出(盆を3等分し、屋敷の3つの空間をドアで繋ぎ、盆を回したり逆回転させたりして部屋の移動を見せたりも)はコメディとも相性が良い。「貴族と執事」という関係性も、エンタメ性が際立つ設定で良い。
    「エンターテイメントとしての演劇」のひとつの見本のような作品と言えるだろう。観終わった観客の満足度も高そう。天海祐希さんの麗しさも満足度が高い。

    ただ。

    良い意味で「くだらなくて面白い」感じの側面もある作品なのだが、悪い意味で「くだらない(と感じられる)」所も多少あり、コメディの要素が少し多すぎるというか、コメディ以外の部分の書き込みや演出が少し大雑把に感じられもした。
    あるいは、もっとコメディに振り切ればいいのに人間ドラマ的なものを見せようとし過ぎていた、ということなのかもしれない。いや、僕自身、実際に何度も声に出して笑ったし、俳優たちはみな本当に魅力的に見えたのだけどさ…

    この「妙なチグハグ感」みたいなものの正体は何なのか。

    登場人物たちがそれぞれに抱えている問題の帰結のさせ方が、都合良すぎるから?それぞれの抱える問題の種明かしや説明の仕方が雑だから?セリフがどことなく言葉足らずな印象だから?唐突に歌われるユーミンの「守ってあげたい」があまりに唐突すぎるから?
    全体の造りとしては「NHKで夕方とかに放送されていた、観覧席の笑い声が入っているようなアメリカのシチュエーションコメディのテイスト」なんだけど、「18年前に一人娘を不慮の事故で亡くした」「悪霊の仕業による怪奇現象の数々」とか、ほかにも、コメディに乗せるにはシリアスすぎたり突飛すぎる設定がいくつかあって、「その塩梅が腑に落ちなかった」ということなんだろう。
    (こういう舞台が好きな層が割と多数いることは確かで、単純に「好みの問題」なんだとも思う)

    おそらく、もっと気軽に楽しめばそれで済む話なんだろうけど、チケット代金がなかなかそうはさせてくれないわけで、つい真剣に観てしまうよねw(そんな自分もヤダw)
    それでも、日常をひととき忘れて夢の世界を味わうには充分な舞台で、俳優たちが真面目にコメディに取り組んでいる姿を観るのも楽しいことは確か。池谷のぶえさんのコメディエンヌぶりは、予想通りではあるんだけど予想以上でもあり本当に必見だし、意外とキーパーソンな大役の羽瀬川なぎさんの活躍ぶりもなかなか。


    M&Oplaysプロデュース
    『鎌塚氏、震えあがる』
    作・演出 倉持裕

    鎌塚アカシ 三宅弘城
    大御門カグラ 天海祐希
    上見ケシキ ともさかりえ
    宇佐スミキチ 玉置孝匡
    相良アガサ 羽瀬川なぎ
    八鬼ユラコ 池谷のぶえ
    相良ナオツグ 藤井隆

    美術 中根聡子
    照明 杉本公亮
    音楽 ゲイリー芦屋
    音響 高塩顕
    衣裳 チヨ
    ヘアメイク 大和田一美(APREA)
    振付 川崎悦子
    演出助手 相田剛志
    舞台監督 幸光順平
    演出部 越野ありさ、佐藤豪、宮本崇史、濱野貴彦、山松由美子
    照明部 山口洸
    音響操作 桜井有未
    衣裳進行 秋山美由紀
    現場ヘアメイク 井草真理子

    大道具 C-COM(伊藤清次)
    盆機構 クエルボ(渡部貴浩)
    電飾 コマデン(福冨健司)
    イリュージョン監修 はやふみ
    特殊小道具 土屋工房(土屋武史)
    小道具 高津装飾美術(西村太志)
    小道具製作 オサフネ製作所(長船浩二)、中村友香、木下早紀
    特殊効果 酸京クラウド(磯田壮一)
    衣営製作 チーシャプロジェクト、佐野明香
    帽子製作 SHIRAISHI D STUDIO
    かつら製作 APREA
    劇中曲編曲 谷口尚久
    運搬 加藤運輸、マイド
    ヘアメイク協賛 COVERMARK、Ayame Organic、Koh Gen Do
    音楽制作協力 三宅治子(トイロミュージック)
    振付助手 山崎朱菜

    制作 近藤南美、寺地友子
    制作助手 花澤理惠
    制作デスク・票券管理 大島さつき
    宣伝 る・ひまわり
    宣伝美術 坂本志保
    宣伝イラスト 安齋肇
    宣伝写真 渡部孝弘
    宣伝衣裳 チヨ
    宣伝ヘアメイク 大和田一美(APREA)、林智子(天海祐希)
    宣伝動画 原口貴光
    HPデザイン 斎藤拓
    プロデューサー 大矢亜由美

    協力 大人計画、研音、イトーカンパニー、MY Promotion Inc.、ケイファクトリー、ダックスープ、吉本興業

    製作 (株)M&Oplays

    2025年3月30日〜4月20日 世田谷パブリックシアター
    2025年4月24日 島根県民会館 大ホール
    2025年4月29日〜5月6日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ
    2025年5月10日・5月11日 りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館・劇場
    2025年5月15日〜5月18日 東海市芸術劇場大ホール

  • 第3回滋企画『ガラスの動物園』@すみだパークシアター倉
    【2025/3/26 19:00〜21:45(途中15分間の休憩あり)】

    初日を観劇(目撃)。2時間45分の大作も、その長さを感じさせることのない(あるいは、その長さである必然性が感じられる)、良い舞台だった。圧巻と言ってよかろう(奇跡、とも言う)。今年のベストステージのひとつであることは確実。
    「悔しい」「羨ましい」なんて感覚も、もちろん湧いたけど、何よりも「脱帽」「満足」という気にさせられる。

    『ガラスの動物園』って、ちょっとお高くとまってる感じというか、小洒落た小難しい印象があって、少しだけ苦手な戯曲だったけど、それをこんなに鮮やかに、親しみやすく見せてくれるとは!これまでの印象は、ただそういう演出に陥りがちなだけだったんだと気づくw(ロマンティックにやり過ぎるか、演出家の過剰な思い入れが強すぎるか、その両方か、になりやすいタイプの作品なのかも)
    演出は、ヌトミックの額田大志氏(音楽も)。決して奇をてらったものではなく、どちらかと言えばオーソドックスというか、たぶん正面突破系なんだけど、要所要所の小技が利いているのだろう。全体のざっくりした印象は、会場の感じや空間の使い方も相まって、かつてのt.p.t.(デヴィッド・ルヴォー、あるいは、ベニサンピット)を思い出した。(演技的には違うけどw)
    なお、ヌトミックは恥ずかしながら未見なのだが、俄然、興味が湧いた。

    遠近法により距離感をも視覚化した床、上手手前に設えられた上階へと伸びる階段(劇中で使われることはない)、本当に外界から入ってくるジム、休憩前後で入れ替わる舞台の前と奥、黄水仙のブーケに仕込まれたマイク、ところどころ色褪せたアマンダのドレス、ジムの前でのみ描写されるローラの足の不自由さ、本当に蝋燭だけの明かりになる場面、そこからゆっくりと動き続けるムービングライト…
    場面ごとに、選択された手法やプランのひとつひとつがピタッとハマっていて、出演者も含め、「相当、脚本の分析に時間をかけたのだろうな」という印象。

    そして何より、出演の4人が、4人共に素晴らしい。「真摯に役と向き合い、遊び、やれることをやり、やるべきことをやっている」という、「いたって俳優としての任務を全うしているだけ」なのだが、「これがいかに難しいか、ということが推察される演出だった(だから「スゴイ!」となる)」ということなのかもしれない。
    4人共が「4者4様のアプローチによる、リアリズム芝居ともまた違う、その先のリアル」を体現していたように見えた。客席に対象を取って喋るような場面もあるし、演劇的な嘘を取り込んだ演出もあったりして、その意味では厳密には「リアル」ではないのだが、なんというか「その時々の感覚」はどこまでもリアルなのだ。

    前半でヒロイン然とした見せ方を与えられず、地味な印象のローラ(原田つむぎ)は、だからこそ、ジムとの蝋燭の場面で一世一代の輝きを放つ。前半で「ガラス細工の動物園」を必要以上にフィーチャーしない演出も良かったし、確かに、戯曲通りに演出するなら、ローラは魅力的に見えすぎてはいけないわけで、前半は地味で目立たない、空気のような存在である必要がある。むしろ、ジムが出てくるまでは、アマンダのほうがこの作品のヒロインであるべきなのかもしれない。

    時折、(個人的には、いとうあさこが重なって見える)キレの良いテンションを放つアマンダ(西田夏奈子)は、毒親さを醸し出しながらも、それはやはり哀れで、でも同時にチャーミングな印象を与える。リアリズム風なヒステリックになり過ぎていないのが成功していた(ある意味では「アマンダ・ショー」でもあったw)。電話勧誘の場面と黄水仙の場面は、間の取り方や芝居掛かったセリフ術が上手く活きた、名場面に。アマンダの場面で爆笑が起こるってどういうことよ!?(賛辞です)

    徹頭徹尾「紳士」イメージを体現したかのような、それでいて罪な男を全うするジム(大石将弘)は、ローラの緊張を解きほぐして自信を与える場面では、優秀なカウンセラーのようでもある。一方、キスシーンのあとで我に返る「俺、何やってんだろ…」的な我の返り方では、「演劇の一回性」を正しく表現し(なんであんなに「用意してない感覚」で演技ができるのか!w)、どこまでもナチュラルゆえに、去ったあとの「場の喪失感」が凄まじい。

    そして、何よりも、トム(佐藤滋)が良い。ヤラれた。
    冒頭、観客を見つめる眼差しに、慈愛と謙虚と少しの後悔が入り混じったように見え、朴訥に語り始める声のトーンと響き具合で、一気に『ガラスの動物園』の世界へ引き込まれる。冒頭のセリフに、泣ける要素なんてそんなに無いのに、佐藤さんの佇まいと語り口に泣かされる。儚く、美しい、語り。
    以降も、劇中のところどころで、トムだけが場面から抜け出した状態で会話が続いたりする(共演者は、その場にトムが居るというテイで会話が続く)のだが、その時の佐藤さんの、「役に入り込み過ぎない」、ある種「乾いた」感じのセリフの発し方も、作品に効いていた。(もちろん、その場に居るときは、その瞬間を生きるように演じている)
    ラストの、蝋燭が消えるところも良かったなぁ。
    (あと、当日配布物の挨拶文も、すこぶる良い。演劇を、仲間を、観客を、愛していることが伝わってくる)

    音楽も、照明も、良い。これはもう、百聞は一見にしかず、なのだが、闇が美しく、無音が雄弁で、そこへもっていくための音と光。こういう感覚は初めてに近いかも。


  • こまつ座 第135回公演『フロイス―その死、書き残さず―』@紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA
    【2025/3/25 18:00〜20:35(途中15分の休憩あり)】

    作品の内容というよりも、スタッフや出演者に惹かれて観劇したところが大きいのだが、下地になっているものが井上ひさし氏の原作『わが友フロイス』であるとはいえ、やはり、井上ひさし作品とは肌ざわりが異なる。
    率直に言えば、「こまつ座作品感が乏しい」。

    作品のクオリティは悪くない。長田氏の脚本もよく書けていると思う。安定の栗山演出だし、出演者も好演している。
    だけど、こまつ座というよりは、新国立劇場あたりの新作という印象で、舞台そのものには問題はないのだが、「こまつ座として、仕上がりがこれで良かったのかな?」という疑問は残った。
    何をどうしたら井上ひさし的になるのか、上手く言えず申し訳ないが、「何かが違う」「何かが足りない」のだ。
    登場人物の機微を描き込みすぎてしまった…のかもしれないし、もう少しドライにまとめて物語を外側から見る視点が欲しかった…ような気もするし。
    舞台装置や照明も、少しぼんやりとした印象で、可もなく不可もなく。

    ルイス・フロイスが来日して、布教活動を進める中、将軍が信長から秀吉に替わり、キリシタン弾圧の憂き目に遭い、26聖人殉教に至るまでが描かれた作品。フロイスを慕った者たちも、それぞれに非業・無念の死を遂げ、フロイスだけが残される…

    当時の「布教」「改宗」が意味するものや、当時の日本人にとっての「神」や「楽園」のイメージ、キリスト教徒に対する世間一般のイメージ…そういった事も考えながら作品を味わう必要があるのだが、そのあたりのイメージを、劇中で上手く説明できているとはいえ、出演者6人だけで提示するのはちょっと高度すぎた気もする。
    逆に言えば、扱っているテーマが大きすぎて、しかも、時間軸に沿って物語を描くには、フロイスを主軸に据えざるを得ないので、異国人が主役となるわけで、なかなかその世界観に没入しにくく、出来事・事象の総覧にならざるを得ない作品だったようにも見えた。(テーマや内容のボリュームに対して上演時間が短い、ということかも)
    本作における正しいフロイスの造形については、おそらく、そのストライクゾーンはかなり狭く、「演じられるフロイスの印象によって作品の印象が大きく変わる」感じがした。

    そのフロイスを演じるのは風間俊介さん。難役を、丁寧に真摯に演じてはいたが、彼の俳優としての良さはあまり活きていなかったかも。(むしろ、彼がこういった役どころを演じると、かえって二面性があるように見えてしまう傾向あり)
    そして、明確な根拠はないのだけど、玉置玲央さんや亀田佳明さんあたりが演じたほうが、役柄的にはしっくりきたかもしれない。

    フロイスに感化され、自分の人生を自ら切り拓いていくことになる島の娘「かや」は川床明日香さん。朝ドラ『虎に翼』で寅子の娘役を好演していた時、「ポスト綾瀬はるかっぼい感じの女優だなぁ」と思っていたが、舞台での感じも若干、綾瀬はるか感。
    一方で、同じ「ニコラモデルオーディション出身者」だからというわけでもないのだが、岡本玲さんを彷彿とさせるような「真っ直ぐで無垢な熱演ぶり」が感じられ、舞台女優としての今後が気になる存在。

    出演者6人のなかでは、久保酎吉さんと増子倭文江さんだけが、こまつ座への出演歴があり、このふたりの存在感が、今回の舞台では大きな柱となっていたように思う。井上ひさし的な、シリアスとコミカルの使い分けや、演技の緩急が、このおふたりは心得ていらっしゃった。年齢的なものもあるかもしれないが、おふたりが出てくると、熟成とか重厚とか、そんな空気が漂う。
    (ほかの方々は、切れ味はシャープでスッキリしているのだが、青い果実という感じで、硬質で無臭な印象)

    決して悪くない。良質で、意欲的であり挑戦的な作品である。
    しかし、今回の上演にピンと来ない人がやはり多いためか、集客がいまひとつで、後方4分の1ほどが空席ではあった。

    あと、そもそも、この前後で観た『やなぎにツバメは』と『ガラスの動物園』が格段に良すぎたために、相対的にこの舞台がぼんやりと霞んだ印象になっただけ…という可能性も、ある。


  • シス・カンパニー『やなぎにツバメは』@紀伊國屋ホール
    【2025/3/25 14:00〜15:40(途中休憩なし)】

    上演時間が1時間40分で終わるのが「ひたすらに惜しい」と思わせる作品と出演者(という取り合わせ)。あと1時間くらい延長戦を希望w

    出演者6名(大竹しのぶ、木野花、林遣都、松岡茉優、浅野和之、段田安則)はいずれも、ギリシャ悲劇やシェイクスビア作品でも主演を張れるような存在感と演技力だが、今回はごく普通の、現代の庶民を演じるという面白さと贅沢さ。
    横山拓也氏による当て書きと思われる書き下ろし戯曲は、近年の彼の作品のなかでも群を抜いて冴えている。寺十吾氏の演出も、戯曲のリズム感や登場人物たちの凸凹感を損なうことなく、良い。

    老老介護、リタイア後の新たな人生、同居問題、子どもたちの結婚、シニア世代の友情と恋…などが散りばめられた戯曲で、基本的にはホームコメディな側面が強い。向田邦子的でもあり、岸田國士的でもあり。
    ただし、エンディングのまとめられ方は、誰に感情移入して観ているかによっては「ホラー」にもなり得る結末。

    現在60代の、美栄子(大竹しのぶ)、洋輝(ひろき/段田安則)、佑美(木野花)の3人は、約20年前、美栄子の母ツバメが経営する「カラオケスナックつばめ」で知り合った。当時、美栄子は日中は会社員として働きながら、夜、店を手伝わされ、店の常連で年の近い洋輝と佑美と仲良くなった。3人にとって店は特別な場所であり、美栄子が夫の賢吾(浅野和之)と離婚話になった時や、洋輝が妻を病で亡くした時や、佑美が仕事で悩んでいた時など、いつもこのスナックで励まし合っていた仲。
    スナックを再現したようにリフォームされた、美栄子の自宅リビングを舞台に、美栄子の母ツバメの葬儀の夜から物語は始まる。
    介護から解放された美栄子や、自身の老後が心配な洋輝や佑美、洋輝の息子の修斗(林遣都)と美栄子の娘の花恋(かれん/松岡茉優)の結婚話などが絡んでくる。話の成り行きで、美枝子たちシニア世代の親友3人でのグループリビングの話などが出たり、賢吾と美栄子の離婚は「賢吾と佑美が恋愛関係にある、と美栄子が疑っていたこと」なども明らかになっていく。
    ラスト、洋輝を心の拠り所としていた美栄子は、ふたりの子どもたちが結婚して同居することを機に、洋輝も一緒に同居することを期待するのだが、実は、洋輝は佑美との再婚話が進んでおり、胸に秘めていた美栄子の淡い恋心は儚く散ってしまう。また、花恋にとっても、母の失恋を目の当たりにするだけでなく、毛嫌いしている佑美が姑という立場になることが明らかになる。

    確かに「どうしようもない人たちの微笑ましいホームドラマ」ではあるのだが、一方で、美栄子の「誰にもぶつけることが出来ないやり切れなさ」や、「母の想いが娘として痛いほど分かるのにどうすることも出来ない」花恋を思うと、モヤモヤした感情も残り、「誰かの幸せは、誰かの不幸の上に成り立っている」そんなことを感じずにはいられない。

    ちなみに、「やなぎにツバメ」は、劇中で大きな意味を持つ『胸の振子』という懐メロ歌謡の歌詞であり、「絵になるもの」を指すことわざでもあり、この作品全体を表す、言い得て妙な言葉。

    大竹さん、横山戯曲だといつもの大竹節があまり目立たずいい感じ。段田さん、浅野さん、木野さんも、さすがの上手さ。林さんと松岡さんの子世代カッブルも、子世代独特のテンポ感や漫才風なやり取りがハマり、このふたりが演じる必然性が感じられる域に達している。
    とにかく、6人が見事にハマり、いろんな現代会話劇を自然体で演じている姿をもっと観てみたくなる、そんな印象。(まあ、テレビドラマもそつなくこなす皆さんなので、当然と言えば当然なのだけどw)

    一点。舞台装置で、リビング奥の、仏壇のある和室が、奥行きが座布団1枚分しかなくて異様に狭い状態なのは、さすがにちょっと不自然で気になってしょうがなかったけどw


    シス・カンパニー公演
    『やなぎにツバメは』
    作 横山拓也
    演出 寺十吾

    柳下美栄子 大竹しのぶ
    仁藤佑美 木野花
    浜坂修斗 林遣都
    柳下花恋 松岡茉優
    鳥野賢吾 浅野和之
    浜坂洋輝 段田安則

    美術 平山正太郎
    照明 日下靖順
    衣装 前田文子
    音楽 坂本弘道
    音響 岩野直人
    ヘアメイク 佐藤裕子
    舞台監督 瀧原寿子
    プロデューサー 北村明子

    演出助手 山﨑総司
    照明操作 大内陽介
    音響操作 松宮辰太郎
    現場ヘアメイク 根布谷恵子
    演出部 正岡啓明、久保勲生、三木やよい、櫻井典子
    制作【進行】 土井さや佳、市川美紀、鈴木瑛恵、井上果穂
    【票券】 安田千秋、笠間美穂
    【宣伝】 西村聖子
    【WEB】 垣ヶ原将
    【アシスタントプロデューサー】 吉澤尚子

    大道具制作 ㈱シー・コム(伊藤清次)
    小道具 高津装飾美術㈱(西村太志)
    電飾 ㈱コマデン(吉田有希、杉山克典)
    衣装制作 松竹衣裳㈱(成田有加、柿沼薰、北條祐介)
    運搬 ㈱マイド
    協力 JOYSOUND、㈱センターラインアソシエイツ、㈱アート・ステージライティング・グループ、㈱ステージオフィス、スタジオAD、アデランス、Ν.Ε.Τ. ON、㈱ストロボライツ、㈱movel、渡辺みのり、都立大NOAHスタジオ(稽古場)
    マネージメント協力 ㈱ニベル、㈲ザズウ、㈲有エスター、㈱吉住モータース、㈱スターダストプロモーション、㈱ヒラタフィルム

    宣伝美術 平田好
    宣伝写真・パンフレット撮影 加藤孝
    舞台写真撮影 宮川舞子
    宣伝写真・パンフレットヘアメイク 新井克英(e.a.t…)
    宣伝写真ヘアメイク 藤原羊二(UM)

    提携 紀伊國屋書店【東京公演】
    運営協力 ㈱サンライズプロモーション大阪【大阪公演】
    企画・製作 シス・カンパニー

    2025年3月7日〜30日 紀伊國屋ホール
    2025年4月3日〜6日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ

  • 劇団温泉ドラゴン第19回公演『痕、婚、』@中野 ザ・ポケット
    【2025/3/20 19:00〜21:05(途中休憩なし)】

    関東大震災の2年後の、とある下町を舞台に、朝鮮人虐殺の加害者と被害者の問題に切り込んだ作品。ある意味「令和の井上ひさし」感のある劇作。
    「人種差別」という言葉だけでは片付けられないような、複雑に絡み合った問題が描かれていて、「集団心理」とか「同調圧力」とか、そういった言葉も浮かんでくる。喉元に刃物を突きつけられるような、そんな重いテーマの作品なのだが、ときおり見え隠れするコミカルな場面の挟み方も、ある意味「井上ひさし」的。
    (それにしても、骨太な社会派の小劇場系の舞台が最近増えてきたような気もするのだが、これも時勢なのだろうか)

    建て込まれた日本家屋の居間と裏庭を舞台に物語は展開。場面転換の仕方が、ある人物や道具にスポットが当たったまま、薄明かりのなか行われるのが印象的。(完全に暗転した状態での転換も何度かある)
    食事の場面が何度か出てくるが、テレビドラマのように本当にご飯やおかずが出てきて、それを食べながら演技しているのも印象的。「本当に食べることによって生まれる何か」があるのだろう。

    物語の終盤、それぞれに秘密を抱えたまま、妻を病気で失った洋裁店店主の友久(いわいのふ健)と、住み込みで働き始めた麻子(山﨑薫)は再婚することになる。実は麻子は朝鮮人であることが判明するのだが、周囲の人間は彼女の素性を快く受け入れる。
    だが、婚姻届を提出して戻ってきた祝いの席で、「麻子の婚約者が朝鮮人虐殺で殺されたこと」「その婚約者を殺したのが友久たの自警団であったこと」「友久をはじめとする周囲の人間が虐殺の事実を黙っていたこと」「麻子ははじめから全てを知っていて住み込みで働き始めたこと」などが明らかになる。ほかにも、それまでの場面でちらっと触れられていたような色々なことが、このクライマックスで、線となって繋がっていく。
    事実をつまびらかにしようとするもクビとなってしまう新聞記者や、元軍人で朝鮮から連れ帰った猫を飼っている隣人なども絡みながら、それぞれの、遺恨・後悔・愛情などが描かれていく。

    ラスト、裁ちばさみで友久を刺そうとするも出来なかった麻子と、刺されることを受け入れようとした友久の間には、文字通り「愛」と「憎」が渦巻いていたと思うが、最後には「愛」が勝ったのだと思いたい。
    そして、「あの日」以来、朝鮮語を喋れなくなってしまった麻子が最後に朝鮮語を取り戻したことで、彼女のなかで止まっていた時間や、溜まっていた様々な想いが、雪解けのように流れ始めたのだと、信じたい。

    麻子役の山﨑薫さんが出色の出来。リアリズムな演技面もそうなのだが、大正時代な感じとか、セリフが無くリアクションする時の感じとか、日本人に対する複雑な想いとか、麻子という役のアイデンティティの揺らぎみたいなものとか、自分で自分を制御しきれない感じとか、そういうのが押し付けがましくなく、フワッと伝わる芝居をされていて、とても良かった。皆が手のひらを返したかのような態度で麻子の荷物を運び出すなか、「それに動じないよう振る舞う、でもその動揺が少し垣間見える」みたいな時の居方も良く。
    男優陣も、いわゆる「二面性」の表現の仕方がそれぞれに違っていて、その差異が上手く作品に活きていた印象。

    しかし、公演スケジュールを見ると、この舞台を1日2回やる日が何度かあるのだが、なかなか大変だろうな…と思う。


  • MONO第52回公演『デマゴギージャズ』@吉祥寺シアター
    【2025/3/6 19:00〜20:50(途中休憩なし)】

    明治時代の旧家と、それから150年くらい後の現代(よりも少し未来)。旧家は民俗資料館となっていて、旧家や裏山の所有者は不明状態、というところから物語はスタート。
    古い日本家屋を舞台に、2つの時代を交互に見せながら浮かび上がる「言い伝え」「思い込み」「勘違い」「嘘」「真実」「こじつけ」「デマ(ドイツ語でデマゴギーのこと)」。2つの時代の登場人物は、上手くリンクするように設定されているが、その分、こちらが受け取る情報量も多い。

    いかにもありそうな「旧家を再利用した民俗資料館」な舞台装置が、間取りも含めて上手く出来ているのだけど、明治時代にしてはちょっと殺風景&綺麗すぎる感じがしなくもない。照明が明るすぎたのかもしれない。

    相変わらずの高値安定な劇作と演出と演技なので、満足度は高いし、あちこちに差し挟まれた小ネタも冴えている。
    セリフにしか出てこない「裏山の御石様」の存在が物語の鍵を握っているのだが、その真相もさることながら、その周辺の、サイドストーリー的なものが何層にも描かれ、様々な点と点が繋がっていくような面白さ。そして、「それぞれの登場人物の価値観の違いや価値観の変化」が、この作品の核になっている。

    明治時代は巫女、現代では民俗資料館職員という、どちらの時代でも渦中の人物ではない立場を演じた立川茜さんが、観客に一番近い存在で、それでいて彼女に与えられたポジションはひねりが効いていて面白い。
    現代パートでは畔上夫妻を演じた、渡辺啓太さんと高橋明日香さんの関係性や人物造形も、一見するとそこまで渦中の人では無いのに、「実はこの2人が一番『デマ』という影響を受けている(『デマ』を上手く利用している)」ようにも見えて興味深い。明治時代と現代とで、関係性が反転しているのも、そのネタが読めてしまうけれど、それでも面白い。
    石丸奈菜美さんの、現代パートの「感化されやすいジュエリーデザイナー」という設定とその造形も秀逸すぎる。
    そのほかの俳優陣も、過不足なく各キャラクターの造形が出来ているし、場に居合わせた時の全体の(キャラクターとしての)バランス感覚も、さすが老舗劇団という趣き。

    ただ、劇作に関して欲を言えば、「2つの時代を行ったり来たりしながら重ね合わせていく」ことの調整(伏線回収的なことだったり、2つの時代がリンクしていくようなエンディングなど)はさすがなのだけど、そこで終わってしまった感じも多少あり…前半にもう少し、違う角度からのネタが挟まれても良かったかも。(そうなると当然、前半で省略すべきことが出てくるとは思うので、なんとも言えないのだけど)

    そして、やはり俳優陣も歳を重ねたせいか、四半世紀前に観ていた「小気味よくテンポのある感じの、ドライなセリフの応酬」は影を潜め、「説得力がある感じの、想いが込められたセリフ」が増えたような気がする。ここ数年、その傾向はあったのだけど、今回はそう感じる割合が多かったかも。
    たとえるなら、歌謡ポップスが時を経てジャズバージョンにアレンジされたような感覚。(それもあっての「ジャズ」というわけではないだろうけど)

    しかし、客演とかを迎え入れることもなく、純粋な劇団員だけで、しかも基本的には全員出演で、新作の公演を続けている劇団というのも、ずいぶん珍しくなってしまったような気がする。(今回は、ここ数年は産休だった石丸さんが復帰、という変化はあるが)
    そして、「観劇」という目的が第一にはあるのだけど、なんだか僕のなかでは、「盆と正月に親戚一同の顔を見るために帰省する恒例行事」みたいな感覚にもなってきている気がするw

    騙されやすい人、信じやすい人なんかにオススメな作品。


    MONO第52回公演
    『デマゴギージャズ』
    作・演出 土田英生

    金替康博
    水沼健
    奥村泰彦
    尾方宣久
    渡辺啓太
    石丸奈菜美
    高橋明日香
    立川茜
    土田英生

    舞台美術 柴田隆弘
    照明 吉本有輝子
    音楽 園田容子
    音響 堂岡俊弘
    衣装 大野知英
    演出助手 neco(劇団三毛猫座)
    舞台監督 青野守浩
    演出部 習田歩未
    照明操作 岩元さやか
    宣伝美術 チャーハン・ラモーン
    制作 垣脇純子、豊山佳美
    協力 キューブ、リコモーション、radio mono
    企画・製作 キューカンバー

    主催 キューカンバー[大阪・東京・豊橋公演]、公益財団法人新潟市芸術文化振興財団・TeNYテレビ新潟[新潟公演]、公益財団法人岡山文化芸術創造[岡山公演]
    共催 公益財団法人豊橋文化振興財団[豊橋公演] 、岡山市[岡山公演]
    提携 公益財団法人武藏野文化生涯学習事業団[東京公演]
    制作協力 サンライズプロモーション東京[東京公演]
    助成 文化庁文化芸術振興費補助金(舞台芸術等総合支援事業(公演創造活動))・ 独立行政法人日本芸術文化振興会[大阪・東京・豊橋公演]、大阪市[大阪公演]、文化庁文化芸術振興費補助金 (劇場・音楽堂等における子供舞台芸術鑑賞体験支援事業)[新潟公演]

    2025年2月14日〜2月17日 ABCホール
    2025年2月22日 りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館 劇場
    2025年2月28日〜3月9日 吉祥寺シアター
    2025年3月15日・3月16日 穂の国とよはし芸術劇場PLAT アートスペース
    2025年3月20日 岡山芸術創造劇場ハレノワ 中劇場

  • 身体の景色 カタリ vol.5@遊空間がざびぃ
    【『蜘蛛の糸』『なめとこ山の熊』『トロッコ』『瓶詰地獄』2025/3/5 19:00〜20:50(途中5分間の休憩あり)】
    【『雀』『羅生門』『銀河鉄道の夜』2025/3/6 15:30〜17:10(途中5分間の休憩あり)】

    8人の俳優による13作品の一人語りの企画(生演奏が付くものと付かないものがあり)。回によって上演作品の組み合わせが異なる。本シリーズは、過去にも何回か拝見しているが、今回は2ステージ(7作品)を鑑賞。
    どの作品も、装飾のないシンプルな小空間に身ひとつで立ち(座り)、身体表現などを挟みつつも、基本的には「語る」ことに重きを置いている。
    キャパは25席ほど。(回に応じて椅子の増減があるのかもしれない)

    以下、作品ごとに簡単に。

    『蜘蛛の糸』芥川龍之介【田中志歩】
    赤い布を血の池地獄に、グレーの布を蜘蛛の糸に見立て、極楽と地獄を連想させる演出。お釈迦様と罪人との違いを、表情豊かに表現(多少、顔で表現しすぎな気もしなくはないけど)。
    お釈迦様の声色や造形が優しく穏やかな感じだったが、オーソドックス過ぎたか。もう少し、お釈迦様の表現の可能性を観てみたかった気もする。
    語り始めの「極楽は丁度朝なのでございましょう」と、語り終わりの「極楽ももう午ひるに近くなったのでございましょう」が、実はこの作品の肝のひとつだと、個人的には思っているのだけど、ここももう少しいろんな可能性を観てみたかったかな。
    同じ芥川作品の『二人小町』あたりが向いてそうな印象のパフォーマー。

    『なめとこ山の熊』宮沢賢治【末次由樹】
    変化球勝負というよりは、シンプルで直球勝負な演出。登場人物の多い作品だが、良い意味で「声優並み」な演じ分け感があって、特に、熊の親子の会話の場面でキュンキュンしてしまった。(新美南吉作品とかも聴いてみたい感じ)
    「無駄がない」「癖がない」ということが、非常に良い方向へ作用した作品に感じられた。「宮沢賢治に対する個人的な思い入れ」みたいなものが少なかった分、押し付けがましくなく、ストレートに言葉や文体が伝わってくる良さもあった。「書かれている感覚には寄り添いつつ、書いている作者とは距離を取る」みたいな。

    『トロッコ』芥川龍之介【オカノイタル】
    相変わらずの非常に臨場感のある仕上がりだったが、以前に鑑賞した時よりも遊びの度合いが増えていて、そこは少し好みが分かれるところかも。(僕は嫌いじゃない)
    会話の部分で低音を使うせいか、地の文の語りで高音が多くなるのも、気になるほどではないが別のアプローチもありそうな感じ。
    前回に鑑賞した時が「みかん畑」だとしたら、今回はなぜか「ゆず畑」な印象w(甘さが少し減った、みたいな…)

    『瓶詰地獄』夢野久作【大西玲子】
    原作を読んだときから、「これを朗読作品にしたらどうなるだろう」という興味があったので、まさにこのタイミングで鑑賞してみたかった作品。
    「3→2→1」の順で手紙が書かれたという一般的な解釈に基づいていたようにも見えたが、演者もそういう感覚で語っていたのか、それとも、演者が観客をミスリードしていたのか、本当のところは分からない。
    「やはり、一筋縄ではいかない作品だな」という印象。演者がどうこうというのではなく、単純に「語られる言葉としてのテキストが手強い」という意味。「音声としてテキストを提示する場合は、ただ語る以外の何かが必要なんだろうな」とか、「男性が語るとどうなるのかな」なんてことも考えながら観ていた。
    今回の上演そのものはよく出来ていたけど、もう少し中性性っぽい雰囲気でも良かったのかも。

    『雀』太宰治【清水幹王】
    緊張感とか少しオドオドした感じが伝わる舞台だったが、結果的に、その感覚が作品にうまくリンクしていた気もする。煮え切らない感じの太宰感、とでも言おうか。
    ただ、声のトーンの変化が乏しく、無理に技巧的に変えられるよりは良かったものの、もう少し声の出し方(それはつまり、身体の変化ということでもあるが)に幅があると、なお良かったか。語りのメロディーも、マイナー調に偏りがちにも思えたので、メジャー調を多用しても良かったのかも。

    『羅生門』芥川龍之介【オカノイタル】
    「土曜ワイド劇場・下人は見た!羅生門の秘密」みたいな仕上がり。語りを聞いていると、色々なBGMが勝手に聞こえてきそう。
    それくらい、語りの背後に奥行きがあるというか、想像がたくましく広がっていく感じ。「夕闇の羅生門に、時折風が吹いて、落ち葉などが舞っている」そんな景色が見えていた。
    「その言葉でそう遊ぶのか」とか「そのメロディーはどうやって生み出されたの?」みたいに、面白い試みがあちこちに。老婆のキャラも秀逸だ。

    『銀河鉄道の夜』宮沢賢治【中村優子・ピアノほか演奏Darie】
    原作を3分の1ほどにテキレジしてあるのだが、カットが気になることなく、「あれ、こんなに短い作品だったっけ?」と錯覚するほどの自然な仕上がり。「文章(言葉の意味やつながり)でカットしている」のではなく、「身体や呼吸を元に、身体や呼吸が自然に流れるようにカットしてある」印象で、目の前の肉体に無理がないように見えたためだろう。
    中村さんは、良い意味で発声にクセがなく、耳触りが非常に良い。身体も、凝ったことをしなくても形が決まるというか、何気ない動きでも絵になる。指先とか、手の角度とか、目線の高さとか、細部への意識も無意識に出来ている印象。ジョバンニの母になった瞬間は、顔つきが杉村春子のような雰囲気をまとい、大女優感も醸し出し。カムパネルラ父もカッコよかった。ジョバンニの慟哭のあとで、スッと自然な語り口の声に切り替えられのも素晴らしすぎる。
    ただ、ひとつ欲を言うと、「語る<演じる」の傾向が強かったので、動きや道具の使い方なども含め、もう少しビジュアル面の演出が抑えめのほうが、この企画の趣旨には、より合っていたかも。
    ピアノを中心とした、声を含む楽器の生演奏はDarieさん。楽器の音や声も、もうひとつの出演者という感じで、しかし、中村さんの語りとは喧嘩をすること無く、同調しすぎることも無く、拮抗した関係性での関わり方が良かった。音が入ってくるタイミングなんかも、すごく良く考えられていて、中村さんの肉体を見ることなく演奏しているのに、語りと演奏は文字通り「息が合っている」。
    上演は40分ほどだったと思うのだが、もう少し聞いていたいような声と身体と音楽で、耳が非常に喜んだ作品。


  • はえぎわ25周年 本公演『幸子というんだほんとはね』@本多劇場
    【2025/2/27 19:10〜21:05(途中休憩なし)】

    2日目に観劇したのだが、初日後に口コミが広がったらしく、当日券が長蛇の列となり、開演10分ほど押してのスタート。

    素舞台の本多劇場。人がひとり隠れるくらいの幅の両面白いパネルが10枚くらい出て、そこにイラストレーターの下田昌克さんがライブペインティングで、場面に応じた背景や食べ物やイメージなどを墨一色で描いていく、という舞台美術…というか演出。(普通なら、映像を映し出すことで処理すると思われる)
    最初は、それぞれ別々に語られ始めた物語が、まるでシナプスが伸びて繋がっていくように絡みだす構成で、最終的には(たぶん)2組の家族の物語へ。

    垣間見えるセリフやテンションは少しアングラ的でもあり、エンタメ感や身体表現の感じはポッブな今風でもあり、若干カオスな感じとか急にみんなで歌い出す感じなどは小劇場的でもあり、(おそらく)劇団が25年間に上演した作品へのオマージュ的な要素もあり、この25年間の日本の現代演劇史のスタイルを小出しに見せていくような側面もあり。ちょっとした「演劇の詰め合わせ」「演劇のコフレ」みたいな舞台。
    (ちなみに、オープニングで、出演者たちを相手に本多劇場を案内する導入(案内されてる人たちは、揃って「へえー」とか「ふーん」とかしか言わない)なんて、まんまSPACの『病は気から』だったけど、これもホントははえぎわの鉄板ネタなのか…?)

    でも、ダイジェストさは無く、「同時代性」が感じられ、ある意味では極めてオーソドックスなのだが、別の意味では非常に斬新なスタイルにも感じられた。そこに、ノゾエ演出の真骨頂、「ちょっと煙に巻く感じ」「客の好みに応えるくせに、客に媚びない感じ」も。
    演劇人以外の観客が観ても「演劇って、よくは分かんないけど、でも、意外と面白いもんなんだな」と思う人が多いだろうし、「シアターゴアーには、こういう舞台を好きな人が多いだろうな」と思わせる印象で、口コミで当日券が増えるのも分かる気がした。「なんか分かんないけど泣ける」みたいなトコロもあるし。
    (個人的には「あの場面でホントの子役を出してくるのは反則だよー…(涙)」と思ったw)

    劇団メンバー(通称 はえめん)と、客演が半々くらいだが、いい具合にスタイルの違いですみ分けられ、でも、いい具合に両者が馴染んでいて、絶妙。
    まずもって、「風船おばさん」の高田聖子さんが大活躍。というか「捨て場面、一切無し」の存在感。あんなに庶民的な雰囲気を持ち合わせてるのに大女優って、なんなのw そりゃあファンも増えるというものさ。
    踊り子ありさんと東野良平さんの、コンビネーションとキスの嵐も、わけわかんないんだけど、強い印象を残す。

    そして、以前に松本で観た『スカパン』の時は、ほかの俳優の合間に埋没していたようにも見えた串田十二夜さん(串田和美さんのご子息)が、見違えるような俳優っぷり。若さ故の色気、柔軟さ、真摯な感じ…急成長ぶりに驚かされた。ノゾエ氏からのラブコールで出演が決まったそうだが、それも納得だし、十二夜さんがとても活きるように、脚本が書かれ、舞台上で使われていたと思う。

    しかし、今回の舞台のMVPは、やはり下田昌克さんのライブペインティングだろう。セリフや場面のタイムに合わせるように、下絵もなく書き表していくさまは必見。
    俳優たちの演技に合わせて描いているだけだと思うのだが、下田さんのライブペインティングがメインで、それを活かすように俳優たちがその前でミニパフォーマンスをやっているようにすら見えてくる、そんな舞台でもある。