株式会社アミューズクリエイティブスタジオ『ここが海』@シアタートラム 【2025/10/7 18:00〜19:40(途中休憩なし)】
加藤拓也×橋本淳による、100分の濃密な舞台。3人しか登場しない作品なのだが、注意深く観察するように観ていないと、取り逃してしまうものが多い作品。 シリアスなテーマと、饒舌な会話と、ふとした沈黙と、おそらく雄弁に語っていると思われる目の演技と、何気ない風景と。
自宅はあるものの、長期で各地のホテルやコテージなどに滞在しながら生活する夫婦の岳人(橋本淳)と友理(黒木華)、そして17歳の娘・真琴(中田青渚)。夫婦ともライターを生業としていて、娘はオンラインで出席できる学校に在学しているもよう。 ホテルの一室が舞台(舞台後半では設えが変わって、北海道と思われるコテージの一室になる)で、ホテルの部屋と舞台奥の間を、大きなカーテンで区切っていて、カーテンの向こう側が部屋の外の廊下に見立てられている使い方が良かった。ちなみに、物語後半では、その「舞台奥」は雪景色となり、部屋の外に見立てられる。
物語としては、友理が「男性に性別変更したい」と告白したことを発端に、変化していく家族の関係性と、同じく変化していく友理の心身が、半年の歳月で描かれる。 いわゆる「当事者」的な存在は、トランスジェンダーである友理なのだが、戯曲はどちらかというと、その当事者を受け止める立場である岳人に焦点が当たっているようにも見える。
婚姻関係の妻が「男性になる」ということには、我々の想像以上のハードルが待ち受ける。世間の目も、法律も、制度も、優しくはない。 そんな「妻」を、理解しようとし、受け止めようとし、関係を継続しようと岳人はもがくけれど、最終的には「離婚届に署名する」という選択肢となる。 これは、単に「別れることにする」というよりも、「離婚することで諸々の手続きがしやすくなる(婚姻関係のままでは戸籍の性別変更はできない)」ということではあるのだが、「たかが紙一枚、されど紙一枚」なわけで、なんともツラい。婚姻届を書き終えたあとの岳人の眼差しが、やり切れなさを饒舌に物語る。
娘の真琴が、両親が出した結論を割りと理解ある感じで受け止めているように振る舞っているのだが、たぶん彼女のなかにも色んな葛藤が渦巻いていて、でもそれを両親には見せないようにしていて、そのいじらしさとか、「自分が許容しているようにしないと物事が進まない」という一種のあきらめとか、そういうのが観客には見え隠れしていて、それもまたツラい。
また、「友理は「恋愛対象は女性」の「男性」になりたいと思っている」のだと認識していたが、「岳人はゲイじゃない」と友里が岳人を突き放すように何度も言う場面があって、一瞬「?」となるのだが、このセリフは「岳人は恋愛対象が男性じゃない。だから私と一緒にいる理由にはならない」と、あえて「別れるための理由」を突きつけていたのかも…と考えると、その優しさが、切ない。
ほかにも、真琴がお菓子の包み紙をソファの隙間に押しやる(そしてそれが大量にあったことが、後の場面で明かされる)のとか、真琴が友だちに唆されて薬物に手を出す(大事には至らずに済む)とか、岳人が耳を掻きすぎて耳から出血するのとか、岳人がトイレのあとに消臭スプレーをすることにやたらこだわるのとか、一見すると、本筋の「性別変更」に大きく関係しないエピソードも、伏線とは違うけど、巧妙に練り込まれた「岳人や真琴の無意識の自我」のようにも見えてくる。
岳人役の橋本淳さんは、とにかく、間投詞や言い淀みや言い直しが膨大にある独特のセリフを自然に滑らかに発するのがすごすぎる。あの「(後方の客席にはもしかしたらしっかり聴き取れていないのではと思わせる)セリフとは思えないような普段使いな喋り方」は天下一品w あと、セリフがない時の、ちょっとした仕草やちょっとした目線などの、行間の体現具合が加藤演出にとても合っているのだと思う。 ただ、17歳の父親にしては少し若い印象なのが惜しい。
友理役の黒木華さんは、京女風のほんわかした感じが、場面を追うごとに男性化していくその様が予想以上で良かった。 「頭では男性になりたいと思っている」→「治療を開始して若干の変化」→「憧れていた男性という性別に精神的にも近づいていく」→「本格的に変化が起きて性別変更の手術も視野に入れた状態」と、本当に男性ホルモンを注射して変化しているみたいで。「男性に変化しつつある女性」みたいな、ボーダー上にいるような表現が上手い。(演技だけではそこまで到達しない気もするので、黒木さんのもともとの気質的なものも作用しているようにも思う) 黒木さんは、実年齢は橋本さんより下なのだが、黒木さんのほうが17歳の母親にも見えた。
真琴役の中田青渚さんは、周囲の顔色をうかがう感じとか、心配させないようにその場を演じる感じとか、匙加減がちょうど良かった。 ただ、17歳にしては少し大人すぎた印象もあり(実年齢は25歳)、「作品のリアリティ」という観点で言えば、俳優3人の演技そのものには非常に説得力があるものの、両親をもう少し年上の俳優にするか、真琴役がもう少し幼い印象の俳優にしたほうが、ビジュアル的な作品の説得力も増した気はする。
後半の場面の、当事者たちではない外野を指す、「関係ない人のほうが強いからね」という友理のセリフが、とても印象に残った。
それにしても、(たまたまだとは思うが)本作の折り込みチラシを全く見かけず、偶然流れてきたネットの情報で上演を知り、その時は既に前売開始後で、運良く予約出来たのだが、こんなに宣伝が絞られているような状態でも、満席になるのはさすがアミューズというか何というか。 なので、出演者のファン以外は、嗅覚鋭い演劇ファンだけが来ているような感じで、客席の集中が極度に研ぎ澄まされていたような印象。(みんな、心して来ている感じw)
帰路、『ここが海』というタイトルの理由を考えてみた。 はっきりと明示するようなセリフは出てこなかったと記憶しているが、岳人が海が苦手な理由を話す場面があり、もしかしたら、友理の告白を受け止めた岳人にとって、告白の内容やその後の妻との関係性などが、「海の中にいるような居心地の悪さ、気味の悪さ」を表しているのかな、と思ってみたり。
それにしても、チラシが二つ折りA4サイズで、中面にインタビューが掲載(特設サイトにも同じものが掲載)されているのだが、まあ、字が小さいこと。というか、あえて小さくして文字のギッシリ感、イコール、言葉では語り尽くせない感を演出してる…?