観るのも演るのも日々是好日!

演劇界に生きる男の観劇記録

SPAC-静岡県舞台芸術センターで俳優やってます!

倉敷幼稚園→粒江幼稚園→粒江小学校→倉敷南中学校→総社南高等学校→大阪教育大学

関心あるモノ・コト = 演劇/LEGO/昭和歌謡からJ-POP/字を書くこと/フィギュアスケート鑑賞/温浴施設めぐり/乗り鉄/旅行/睡眠

  • 手話のまち 東京国際ろう芸術祭/日本ろう者劇団×デフ・パペットシアター・ひとみ×カンパニーデラシネラ 共同創作プロジェクト『100年の眠り』@座・高円寺
    【2025/11/8 18:30〜19:30(途中休憩なし)】

    セリフ無し、音楽無しのノンバーバルな作品。無音のなか繰り広げられる、60分の身体パフォーマンス。グリム童話の『眠り姫』から着想を得ているものの、無言劇ともちょっと違うし、コンテンポラリー系のダンス作品とも違うしで、「聾者を中心とした、ダンス演劇的な無音パフォーマンス」といったところ。
    「眠る」という行為は舞台上でも行われるが、『眠り姫』的な要素はあまり見当たらなかった印象。

    座組が、文字通り「老若男女の集まり(8人)」という感じなのがとても良い。三世代くらいの家族のようにも見えるし、小さな社会コミュニティのようにも見える。
    なかでも、まだ少女な守屋水結さんの存在が、この作品にとってはとても重要だったと思う。
    個人的には、スキンヘッドの雫境(だけい)さんの、ユーモラスとシリアスのバランス感覚が絶妙な存在感と、それゆえのカッコ良さも、印象に残った。
    小野寺さんと崎山さんのデラシネラコンビは、もちろん言うまでもなく。(崎山さんの、「感情を簡単には表に出さない」感じの「スッと居る」存在感もメッチャ好き)

    パネル代わりも兼ねている4枚の細長いレールカーテン、ラジコン操作で出てくる汽車、動きの中で主軸の人が入れ替わっていく演出、影絵、ゴム、懐中電灯、見立ての小道具、風に立ち向かう動き…など、これまでのデラシネラで親しんできた演出や道具類がたくさん投入された舞台になっていて、スタッフワーク的な技術面においては、これまでの路線を踏襲してきたような印象。
    なので、「本作ならでは!」みたいな部分は、聾者が演じていること以外には、今回は特に見当たらなかったと言える。

    逆に、聾者が演じることで、普段ならやっているであろう、呼吸の音や舞台上の動作音などでは動きを揃えることができないため、出演者たちは視覚情報に頼らざるを得ず、動き出しや転換のタイミングが、健常者での舞台に比べるとほんの少しだけ遅い気がした。(そのせいか、今回の舞台のほうが、全体としてゆったりとした時間での進行にも感じられた)
    また、「何が行われている場面なのか、よく分からない/分かるのに時間がかかる場面」が何回かあり、そういう時にも無音なので、見ている集中がちょっと切れかけてしまうことはあった。

    作品自体のクオリティは決して低くないとは思う。
    が、じゃあ「同じ作品を健常者だけでパフォーマンスしたらどうなるか」と言われれば、今回のものとそこまで大きな違いはなさそうで、「聾者だからこそ観ることができる舞台」とは少し違ったかな?という感じ。
    「聾者が聾であることを感じさせない作品に仕上がっている」という意味では、非常に意義がある舞台ではあると思う。


  • ヒラタオフィス+TAAC『金魚の行方』@サンモールスタジオ
    【2025/11/8 13:00〜15:00(途中休憩なし)】

    引きこもりの青年とシングルマザーの母親、自立支援センターの所長と家出少女だった職員、母親の年下の彼氏、青年の姉的な存在の幼なじみ。
    6人で繰り広げられる、引きこもりがテーマの本作は、iaku(横山拓也)とserialnumber(詩森ろば)を足して2で割ったような作風。少しコミカルなところもありながら、でも作品的にも登場人物的にも、重くウエットで。

    劇中で、モチーフやエピソードとして意味を持つものを順不同に挙げると…
    自然界では生きられない金魚、その金魚が居なくなった水槽、引きこもって壁を叩いて行う会話、水たまりバシャバシャ、マクドのポテト、落とし物の伝書鳩、うたた寝している人に毛布を掛ける優しさと起こす優しさ、子どもたちに身を食べられながら敵と戦うハサミムシの母親、家出した猫のリサ、世界の極地である自立支援施設、転落死した施設利用者…など。

    そのほかの細かいエピソードに至るまで、最終的に作品の世界観に重なり合っていく秀逸な戯曲(タカイアキフミ氏の書き下ろし)。戯曲上での「金魚」の扱い方(取り上げ方)も実に上手い。
    一方で、ハッキリとは明かされないエピソードもいくつか出てくるのだけど、解明されないことはあまり気にならず、そう感じさせる処理の仕方も良かった。
    演技も、皆、地に足がついた感じというか、「……。」的なセリフの見せ方(仕草だったり、表情や目線だったり、微細な身体の反応だったり)が上手い。沈黙がちゃんと言葉になっていると言おうか。

    部屋の一室が舞台装置になっているのだが、これが、室内に置かれている金魚の水槽を大きくしたようにも見え(つまり、大きな水槽の中に、本物の水槽が置かれているような感じ)、この部屋の住人たちもまた、「世話をされないと生きてはいけない」金魚みたいな存在であることを想像させる。

    主演の枝元萌さんの演技が以前からすごく好きで、今回も、期待を裏切らない良い芝居を見せてもらった。毒親なのに、「あんた100%間違ってるよ!」とも言い切れない人間味があって、その丁寧な役作りに感心。
    息子役の木村聖哉さんも、彼の心の中の葛藤や不安が透けて見えてくる、みずみずしい良い演技で、この親子の、演技や会話における互いの想いの駆け引きだけでも観る価値があるだろう。

    ひとつ惜しかったのは、玄関ドアの裏側(観客に見えない側)が大きく開いた時に、大半の観客には見えていないのだが、客席の上手端からは少し見えており、それなのに材がむき出しになった造りで、それが見えるたびに現実に引き戻されてしまった感じがして、できれば裏面もドアの加工をしてほしかった。

    テーマは重いし、観劇後もモヤモヤ感を少し引きずるタイプの舞台かもしれないが、地味ながらも手堅く丁寧な「知る人ぞ知る郷土銘菓」みたいな味わいで、そういうのが好きな人には特に観てもらいたい作品。11月16日まで新宿のサンモールスタジオにて。


  • ご訪問いただき、ありがとうございます。

    岡山県出身で、普段はSPAC-静岡県舞台芸術センターで俳優や制作スタッフとして活動している永井健二と申します。

    これまで自身のFacebookで観劇の記録を投稿していましたが、「何十年分の過去の観劇記録も、過去の日付で残せたらいいのになぁ」と常々思っており、このたび思い切って「観劇記録のブログ化」を実行に移すことにいたしました。

    https://www.facebook.com/share/1Dhfj11J8Y/

    Facebookにもこれまで通り投稿を続けますが、このブログのほうには、(可能な範囲で)上演記録的なものも書き加えていきたいと考えています。

    完成するのはかなり先になりますが、最新記事はそのつど投稿して参りますので、どうぞ気長に、ゆっくりと、お付き合いください。

  • EPOCH MAN『我ら宇宙の塵』@新宿シアタートップス
    【2025/10/30 14:00〜15:40(途中休憩なし)】

    2年前の初演がとても良くって、再演も観劇。大きな改編は無かったように思うが、「死んだ父親の最期を辿る」という設定が無くなっていた?かも。
    あと、出演者たちが2年を経て、演技にパワーアップ感が見られた。池谷のぶえさん、やっぱり素敵すぎる。

    ↓初演時の感想はコチラ↓
    https://nk-theatergoer.com/2023/08/11/epoch-man%e3%80%8e%e6%88%91%e3%82%89%e5%ae%87%e5%ae%99%e3%81%ae%e5%a1%b5%e3%80%8f%ef%bc%a0%e6%96%b0%e5%ae%bf%e3%82%b7%e3%82%a2%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%83%88%e3%83%83%e3%83%97%e3%82%b9/

    初演時と感想に大きな違いはないが、今回のほうが、より泣きながら観てたかも。星太郎が、死んだ人たちがどうなるか納得できる結論を自分で見つけた、その説明の場面がやっぱりとても良くって。

    今年は、東京公演のあと全国ツアー(大阪、福岡、金沢)も。


  • 第22回 静岡県中部高等学校演劇研究大会 秋季公演@藤枝市民ホールおかべ
    【2025/10/26 13:00〜17:30】

    いわゆる「静岡県の高校演劇の中部地区大会」。初日の25日は駿河総合高校1校のみの上演で(他業務あり未見)、2日目に4校が発表。5校のうち2校が県大会に出場できるという、東部や西部に比べるとかなり条件の良い地区。
    2日目の4校の感想を簡単に。


    13:00~14:00 静岡市立高等学校
    『廃駅にて』作/月端よつば

    生徒創作。進路のことをきっかけに喧嘩してしまった高3の女子高生2人。廃駅となったホームで、それぞれがたまたま出会った人と会話を交わすうち、自分を見つめ直し、仲直りに至る…というストーリー。ストーリーのプロットについては、若干、ありがちなところもあり、そのあたりが練られればもっと良くなりそうな気配。
    「廃線」ではなく、あくまで「廃駅」らしく、貨物列車はたまに通るという設定。舞台装置に貼られたかつての時刻表だと、客車は数時間に1本という本数の路線らしく、静岡まで7時間くらいかかるというセリフもあり、東北か中国地方あたりの秘境路線っぽい雰囲気…のわりに、主人公2人の価値観は、そこまで秘境路線に住んでるっぽい雰囲気はなく、少し違和感。
    冒頭の「神社の境内」という設定と「神主」とのやり取りが悪くなかっただけに、この設定が後半で完全に消し去られてしまった状態になったのがもったいない。あの神主さん、もう1回ラストとかに出てきてほしかったのだが。「廃駅の近くに神社があり、廃駅の掃除も神主さんがボランティアでやっている」とかの設定でも良かったのかも。
    廃駅に唐突に現れる「車掌」の存在がかなり謎で、そのあたりの脚本への書き込みがもっとあっても良かったか。
    演技面や滑舌面での課題も見られるものの、俳優たちの素材は悪くない。上手く使えば、上手く活きそう。
    無音での暗転が何度かあったのももったいない。蝉の声などのSEでも入れれば良かったのに。一方、着信音やスマホカメラのシャッター音などは、会場のスピーカーから流れると少し興ざめするような点でもあり、その処理にも一工夫欲しいところ。


    14:10~15:10 静岡県立静岡東高等学校
    『毒を持った少女たち』作/浅岡美吹

    昨年の創作劇脚本コンクールで入賞した、静岡高校の生徒の作品。自殺サイト主催者のレナには、妹を死に追いやってしまったという負い目があり、サイトを見て集まった自殺志願者たちが山奥で集団自殺を試みるものの、レナは、毒と睡眠薬をこっそりと入れ替えて渡し、自殺志願者たちに生きる意欲を与えていた。そんなある日、いつものように志願者が集うのだが、その中のひとりが、レナの妹らしき人物に会ったという発言を聞いたことにより、レナ自身が自死を決意。青酸カリを服用するも、最終的に一命をとりとめ…というストーリー。
    トモが、その後、医者だらけの家族たちとどう向き合って、どう立ち直ったのか、もう少し描かれていても良かったか。(万引き犯として追われていたのはどう解決したのか、とか)
    おそらく原作は全員女性なのだと思うが、今回はそのうちのひとり「アカ」を、男子部員が「性別不詳」な中性的な感じで演じており(もしかしたら男性として演じていたのかもしれないが、はっきりとは断定できないような雰囲気でもあり)、それが意外と良かった。
    猫が登場して「洗剤の袋をかじって中身がこぼれる」という部分は、「何となく猫は舞台上に登場したものの客には見えない」的な演出になっていたが、どう処理すべきだったのか、難しいところ。
    出演者は総じてセリフが明瞭で、癖っぽい演技もあるものの、悪くはない。脚本と演技アドバイス次第で、もっと良くなりそうな雰囲気は感じられた。


    15:20~16:20 静岡県立清水南高等学校
    「放送室物語」作/清水南高校演劇專攻生
    (翻案・泉鏡花作「天守物語」)

    「天守物語の富姫と図書之助が現代に転生」というプロットの劇中劇を練習する高校生たち。一方で、現実は絶妙に『天守物語』の世界とリンクする展開を見せる。エヴァンゲリオンも(たぶん)ちょいちょいリンク。そして、現代に転生した富姫役であるスズナと、図書之助役であるミレ、ふたりの孤独や悩みを、互いに癒し合うような友情物語の一面も見せる。全編生演奏。
    リアルとフィクションのあわいを行くような演出と演技は、作品世界に上手くハマっていたと思う。おそらくセリフの分量は、他校の1.5倍くらいあったように感じられたが、皆、淀みなく簡潔に語ることで、芝居のテンポ感とメリハリを生むのに繋がっていた。登場人物たちの愛すべきキャラクター設定も多く、部員の個性が良い意味でバラバラに見え、作品に奥行きが生まれた。
    何より、16名という部員数の多さが、登場人物の多彩さに繋がり、他校と比較にならないほど、活気やエネルギーが舞台上にみなぎり、ホールの広さも、むしろ狭く感じるほどで、人数の多さによる効果で、他校演劇部を一歩も二歩もリードしていたところは否めない。昨年の『しんしゃく源氏物語』から倍増しているわけだが、人数が倍になったことで、できることは4倍くらいになっていた。
    課題としては、声量があるが故に、声量の残響に自身の言葉が負けてしまっている出演者が何人かいたところ。もっと粒立てて語るか、もっと声量を抑えて語ると良かったかも。メイン2人は張らない発声でも充分言葉が届いていたし。しかし、まくし立てる系のセリフをどう聞かせるか(あるいは聞かせるところと勢いだけを伝えるところとの取捨選択)は、プロでも難しいし、劇場によっても変わってくるのでなかなか厄介。
    身体的には、他校に比べると圧倒的に身体の癖が少なく、首や腕の無駄な動きは、ほぼ見られなかった。
    タイトルが『放送室物語』である必然性が少し欠けていたかな。セリフには「放送室」が出てきて、おそらく「天守」にあたる存在であることも分かるのだが、実際に舞台上で設定されている場所は教室で、少し違和感。下手奥の演奏エリアに紗幕を張っていて、これはこれで良かったのだが、もしかしたら、紗幕をガラス窓とかにして、演奏エリアをいわゆるDJブース的な扱いにし、「放送室のブースとスタジオ」みたいな設えにしても良かったのかも。(ただ、そうなると、教室が騒がしくて注意しに来る教師の存在の必然性が無くなってしまうのだが…)
    あと、欲を言えば、登場人物の多くが劇中劇の練習パートに関わるメンバーばかりとなり、メインストーリーでもあるスズナとミレ、このふたりの少女の展開に、彼らがちょっと影響しなさすぎで、サブストーリーとメインストーリーの境界線がハッキリしすぎていたのがもったいなく感じた。もうちょっとメインとサブがクロスオーバーしていれば、メインストーリーの深みが増しただろうし、サブストーリーの面々も、賑やかし以上の存在になれたのではなかろうか。
    冒頭の、幕開きと同時に聞こえてくる低音ビート(バスドラかな)と、ビニール傘による群舞は、単純に「おお、カッコいい」と思わせるクオリティで、「ああいうのをやってみたい」と他校の部員や顧問に思わせる力があった。
    東部と西部の代表校の出来によっては、関東大会に駒を進めても納得できるような作品で、2年目にして、「清水南だからこそ出来うる作品に少し手が届いたような」そんな瞬間に立ち会えた。


    16:30~17:30 静岡県立静岡城北高等学校
    「フエキりゅーこう」 作/阪本龍夫(静岡城北高校演劇部潤色)

    戦争で地下シェルターに閉じ込められた学生達の生活を描いた作品で、歌やダンスを織り交ぜた演劇を稽古し、発表する機会を待つのだが、最終的には、一人を除いて全員が砲弾を浴びて死んでしまう。いわゆる反戦モノ。
    描き方が少し直接的すぎるというか、「真正面から声高に反戦」的なセリフが多く、道徳劇っぽく見えてしまったのは、原作のせいなのか、演出のせいなのか。もちろん、そういうメッセージは大切ではあるのだが、「え、実は反戦メッセージに繋がってるの!?」みたいなほうが、そうと分かった時のズシンと来る重みが、より大きいような気がする。
    登場人物は、原作通りの人数なのだが、清水南のあとだったこともあり、舞台が妙にスカスカに感じられてしまい、原作より人数を増やしても良かったような気もする。もう2〜3人居るだけで、随分印象が変わったと思う。あるいは、シェルター感を出して、もっとアクティングエリアを狭めるか。
    メインの役のジョーとユウは、原作では男性の設定なのだが、今回はジョーを女子が演じており、健闘していたと思うのだが、戦闘下という設定を考えると、ここはやはり男子に演じてもらいたかったし、途中で「女性兵士・ソニア」の役がわざわざ登場している事の対比としても、ジョーは男子が良かったのではなかろうか。ソニアの背負うモノの重みが軽くなってしまった印象。
    音響の音量レベルが総じて大きすぎて、冒頭のオルゴールも、もっと繊細に聞こえてきてほしいのに、やけに大きいし、電話の着信音も、客席で鳴り響いているのかと思うような感じで、もうちょっと工夫が欲しかったところ。
    あと、出演者たちのまとう雰囲気からすると、どちらかというとハートウォーミングな作品のほうが合っているような気もした。俳優たちの技量はあるだけに、直接的で扇情的な表現ではなく、もう少し繊細な表現の作品を観てみたかったかな。


    なお、駿河総合と清水南が、県大会へ駒を進めたもよう。静岡県大会は11月29日と30日に、三島市民文化会館にて。

  • ala Collection シリーズ vol.16『ハハキのアミュレット』@吉祥寺シアター
    【2025/10/13 14:00〜16:00(途中休憩なし)】

    可児市文化創造センターの滞在制作シリーズ。今回はiakuの横山拓也氏による書き下ろし。可児で初演ののち、吉祥寺、ひたちなか、宇都宮、廿日市、日田、丸亀、知立と巡演。
    かつて棕櫚箒(しゅろほうき)の名産地として栄えた、南近畿のある町の工房・倉西商店を舞台に、過疎化問題(人口流出問題)、後継者不足、町おこし、村社会などが盛り込まれたストーリーが展開していく。
    3枚しか出なかった当日券を運良く手に入れることができ、何とか観られたのだが、想像以上に良い舞台だった。さすが、現代演劇の三大拓也(横山拓也、加藤拓也、扇田拓也)w

    ちなみに、「ハハキ」とは「箒」の語源になった言葉で、「アミュレット」はお守り。物語では最終的に、力加減が難しく技術習得に苦労していた、棕櫚箒の繋ぎ部分を、銅線から三つ編みに編み込んだシュロに変えることで、堆積していた諸問題が解決を迎えることになる。

    登場人物は7人。倉西商店の4代目で三つ編みがトレードマークの奏(南果歩)、町を捨てて東京へ出ていった兄・雄一(平田満)、大阪で就職した息子・大樹(田中亨)、大樹の幼馴染で同じく大阪のホテルに就職していた・凛(東宮綾音)、凛の父であり奏の同級生であり地元ホテルの経営者でもある哲男(緒方晋)、倉西商店の取引先であり奏の同級生でもある神主の照道(福本伸一)、奏の弟子1年目の穂香(橋爪未萠里)。
    会話にのみ出てくる存在感ある人物としては、「奏の夫」、「哲男の妻」「地元のおばちゃん」。

    町の助成金で伝統工芸の灯を守る代わりに、倉西商店は安産祈願の神社のノベルティである小さな箒を作っているのだが、この箒の受注が多すぎて、肝心の棕櫚箒づくりの後継者育成になかなか手が回っていない。そのことを、奏も穂香も歯痒く思っている。
    この問題を起点として、登場人物たちがそれぞれに抱えている問題があらわになり、波乱ののち、先に書いた大団円を迎える。

    横山氏の作品としては、緻密に、具体的に、地に足がついた感じの脚本で、新劇の劇団あたりで上演されてそうな印象。突飛な人や独特の感性の人が出てこず、話の展開に無理もなく、とある工房の様子を覗き見しているような作品だった。
    強いて言えば、「凛がユーチューバーの男性の子を身ごもり、その男性とは連絡が取れなくなり、シングルマザーで産むことを決意する」とか、「奏の夫は香港に単身赴任中で、互いに恋愛感情はあるものの事実的には別居婚状態で、夫婦はもう何年も会っていない」とか、実社会にはそういう人があまり居なさそうな設定もあるものの、「想像できる範囲内」ではあるので、人物や設定のリアリティに嘘くささ(ご都合主義な印象)を感じることは無かったかな。

    橋爪さんが、こういう出演の時、「本筋に直接的には関わらないサブキャラクター」で出ていることが多い印象だが、今回は3番手くらいのポジションで、「アミュレットの箒」を考案したのも橋爪さん演じる穂香、という設定で、見せどころが多かったのが個人的には嬉しかった。(橋爪さんの芝居、好きなのでw)

    南果歩さんが「似たような演じ方をする俳優があまり居ない、独自の存在感」で、葛藤を抱えつつも朗らかに生活している自立した女性を好演。還暦という設定ではあるものの、若くてチャーミングで、でも時折、60歳っぽさを垣間見せる、その匙加減が上手い。
    平田満さんも、「歳を重ねて心境が変化し、町のために奔走したいと故郷に舞い戻ってくる(でもその真意が周囲には見えないために「何を考えているのかよく分からない」と認識されてしまう)」、奏の兄を好演。

    ただ、ふたりそれぞれは良いのだけど、ふたりが会話している場面で「血の繋がり感(兄妹感)」が感じられず。奏が同級生と話している時と、兄と話している時とでの違いがあまり見えず、兄の雄一も、いくら疎遠だったとはいえ、妹への接し方がどうにもぎこちない感じで、実の兄妹というよりは「疎遠だった幼馴染」「いとこ」のような雰囲気に感じてしまった。「奏の物心がつく前に雄一が町を出ていってそれきり」くらいの離ればなれだったのなら成立するかな…という感じ。
    ラストの場面に至ってもなお、「ふたりとも、まだお互いに少し遠慮がある」ようにも感じられ、ちょっと惜しい。

    舞台装置の建込みが素晴らしく、舞台上にリアルさがあったおかげで、この場で繰り広げられる会話にもリアリティが生まれやすかったのではないか、と思う。

    地方公演で観劇できそうな機会がある方は、とりあえず観てみると良いのではないだろうか。とりあえず、南果歩さんが素敵なので。(橋爪さんも推すけどw)


  • 劇団温泉ドラゴン第20回公演『まだおとずれてはいない』@雑遊
    【2025/10/12 17:00〜18:20(途中休憩なし)】

    原田ゆう作・演出による、劇団結成15周年の作品は、海で溺れて亡くなった友人と、SNSで繋がっているガザの友人を登場させながら(実際に人物そのものは出てこない)、男3人の日常的な会話劇で描く、社会派な内容。

    弁当屋のシェフ秋実(あきざね)(阪本篤)が、「亡き友人の神林と同じ生年月日」ということもきっかけに、ガザ侵攻で避難生活を送っているパレスチナ人とSNSで繋がり、金銭的な支援を始める。
    無意識に、亡き友人を救えなかった事への償い的な気持ちや後悔が、パレスチナ人一家への支援となる。
    最初は懐疑的だった、幼馴染であり弁当屋の経営者でもある初範(筑波竜一)や、神林の弟・省吾(いわいのふ健)も巻き込みながら、やがて、パレスチナ料理を盛り込んだ、ガサの人たちを支援する弁当開発へと発展していく。
    その矢先、支援していた(支援することでエジプトへの亡命を手助けしようとしていた)パレスチナ人一家が、空爆に遭って全員亡くなってしまう。亡き友人に続いて、またしても「救えなかった」と自責する秋実…
    あらすじとしてはこんな感じ。ラストで、救いの手を差し伸べられなかったと自責する秋実に、省吾と初範が、逆に救いの手を差し伸べるように「溺れてみせる」のが、ふたりのありったけの優しさでもあり励ましでもあり、印象的。

    物語の展開の仕方や、言葉のチョイスが秀逸なのだが、そこにサブリミナル的に入れ込まれた『銀河鉄道の夜』が、これまた実に巧み。
    登場人物3人の名前が、それぞれ『銀河鉄道の夜』に由来されている(と思われる)。
    昔「ザネリ」というあだ名が付いていた秋実(あきざね)、カンバとよばれる神林(おそらく「カンパネルラ」)、「ジョバンニ」由来で命名されたと思われる初範(はつのり))
    ザネリを助けるために溺死したカンパネルラ。「ほんとうのさいわい」を探し続けるジョバンニ。銀河鉄道は弁当配達のハイエースに。
    リアリズムな舞台でありながら、どことなくファンタジーの雰囲気が漂うのは、刷り込まれた『銀河鉄道の夜』のおかげか。

    「支援する」ことの大切さと難しさ。忘れないこと、想うこと。出来ることと出来ないこと。贖罪と後悔。「ライフジャケットを投げる」勇気と、覚悟と。
    そんなことを、押し付けることなく観客それぞれに考えさせてくれる、そんな舞台だった。


  • ホリプロ『チ。―地球の運動について―』@新国立劇場中劇場
    【2025/10/12 13:00〜16:00(途中15分間の休憩あり)】

    漫画、アニメでも有名な『チ。』の舞台化は3時間の大作。悩んだ挙句、原作もアニメも未見のままで観劇することに。(ちなみに、僕が観た回は、ホリプロステージ会員の貸切公演回で、ステッカーのプレゼント付き)
    魚豊氏の原作を、長塚圭史氏が脚本化。演出は、インバル・ピントと共に作品を創っているアブシャロム・ポラック。インバル・ピント→バットシェバ→キッドピボットと渡り歩いているエラ・ホチルドが振付を担当し、音楽は阿部海太郎氏。

    「意外と、地動説とか天動説とか本筋にあんまり関係ないなあ」というのが第一印象。地動説や天動説の仕組みが分かってなくても、観劇には問題なし。
    「地動説」「天動説」とか、唐突にセリフに出てきて、何の説明もされないまま会話が進んでいくしw
    そして、「「チ」とは「地(地球)」のことかと思いきや、「血」のことだったのか…?」という感想なのだが、果たしてこの舞台化は、どこまで原作の世界観を描けているのだろう。

    物語のテーマが「地動説か天動説か」よりも、「宗教という名の支配」「自由を獲得するための信念」といった感じで、「地動説が異端」とされているものの、「なぜ異端扱いされるのか」の部分はあまり明確でなく、単に「いまの宗教(支配)にとって邪魔な存在だから」的な描かれ方に見えた。星球とか使われてはいるのだが、舞台全体からあまり「宇宙感」は感じられず。
    それぞれのキャラクターの「信念」みたいなものは伝わってきて、「その信念をどのように全うするか」という舞台になっていた。

    「地動説を裏付けるための観察や研究」の場面もほぼ無く、「支配者 VS 異端者の攻防戦」に比重が置かれていたし、拷問シーン(指詰めとか抜歯とか)が何度が描かれ、その演出も、血を連想させる描き方でちょっとグロテスク。

    結果として、作品クレジット的な主役はオクジー役の窪田正孝さんだと思うのだが、舞台の実質の主役は、ノヴァク役の森山未來さんと、その娘のヨレンタ役の三浦透子さんという印象。(実際、舞台の演出は、森山さんで始まり森山さんで終わる)
    例えるなら、「軍国主義の支配層が、反軍国主義だった娘が処罰されて失い(実は逃げ延びるが、最終的には自爆テロを起こす)、さらに時代が民主主義になったことで、自分の拠り所を失い呆然とする…」みたいな。

    演出面では、ダンサーのアンサンブル6人(皆川まゆむ、川合ロン、加賀谷一肇、笹本龍史、Rion Watley、半山ゆきの)が良かった。なかでも、川合ロンさんの存在感が印象的。
    「誰がどれか分からない」みたいな感じではなく、それぞれの個人が認識できる使われ方で、でもアンサンブルとしての群衆性はあり、しかも、いろんな場面でいろんな形で登場し、出番も多い。6人一緒にではなく個人で登場する場面も多々ある。
    殺陣の場面もあれば、デラシネラっぽい動きの場面もあったり、全員でそれぞれに太鼓を打ち鳴らしたりと、踊るというよりは、まさしくコロス的な活躍。
    舞台転換や、舞台装置の移動においても大活躍しており、彼ら6人がこの舞台を進めていると言っても過言ではない。

    雨は降らせるし、宙吊りはあるし、壁みたいなユニットがいくつも出てきて、俳優たちは動いているそれを登ったり降りたりしながら場面が変化していくし、とにかく、段取りが大変そうな舞台。(そしてお金もかかっていると思われるw)
    音楽の一部は生演奏で、上手に演奏エリアがあり、竹内理恵とギデオン・ジュークスによるデュオ「MUSIC for ISOLATION」が担当。管楽器をメインに、色々な民族楽器や小物楽器の音色も。

    メインどころの出演者は当然ながら、皆達者で、危なっかしい出演者は不在。演技のクオリティ的には問題ない。歌唱場面がある俳優も多く、ミュージカル的な側面も。(三浦透子さん、めちゃくちゃ歌が上手い!)
    ラファウ役の子役(小野桜介と駒井末宙のダブルキャストで、僕が観た回は小野桜介)が、要所要所で、狂言回し的な感じでシンガー役として登場して歌うのだが、これも良かった。

    実質主役の森山未來さんは、まったく悪びれない悪役を嬉々として演じており、さすがの存在感。ただ、アンサンブルダンサーに混じって動いている時に、森山さんだけ動きの質感が独特というか、ほかに馴染むことが出来ないというか、若干の悪目立ち。(ひとり、アレンジやオリジナルの動きが入っている感じ)

    役者も良い。演出も良い。音楽も良い。
    …なんだけど、いまいちしっくり来ないように感じられてしまったのは、脚本に原因があるのか、そもそもの原作の問題なのか。あるいは、役者や演出や音楽のスキル面の巧さが悪目立ちしすぎていたのか。
    (後ろの席の人たちの会話だと、舞台では漫画の前半がかなり端折られているそうな)


  • ピーピング・トム『TRIPTYCH トリプティック』@穂の国とよはし芸術劇場PLAT 主ホール
    【2025/10/11 14:00〜16:00(途中25分間の舞台転換を兼ねた休憩あり)】

    これまでに日本で上演されたピーピング・トム関連の舞台は、わりと見てきた方だと思うのだが、今回は『ヴァンデンブランデン通り32番地』(2010年)の時の衝撃を思い出す、目が離せない作品だった。
    「ホラーなダンス」「デヴィッド・リンチ監督作品みたい」という感想がSNS上で見られたが、まさにそんな感じで、終末感とかディストピアとか悪夢とかを連想させる世界観。ただ、とても魅惑的で妖しく、別の意味で美しく、個人的には大好物な世界観でもあるw
    (ちょっとグロテスクだったり、男女ともに全裸のシーンがあったりするので、好みは分かれると思う)

    タイトルは「3連からなる絵画」を意味するそうだが、おそらく、「TRIP(旅/つまずく/ぶっ飛ぶ)」の意味を内在している(と思われる内容)。日本語のキャッチコピーにもある「クルーズ(航海)」が裏テーマ。
    「ミッシング・ドア」「ロスト・ルーム」「ヒドゥン・フロア」の3作品からなる構成で、NDTのために作られた作品を、ピーピング・トムが自ら再構築した、いわば「ディレクターズカット版」な上演。

    三楽章からなる交響曲のような構成で、楽章ごとに変奏しながらも、モチーフとなるテーマがそれぞれに使われているイメージの作品。
    場面的には、①「モスグリーンな世界観の、ある客室(もしくはロビー的な場所かも)」→②「赤茶系の、ベランダと寝室とクローゼットのある別の客室」→③「コンクリートっぽい質感の、屋外のようにも見える、浅く水を張った食堂」と変化するが、たとえば、①と②は隣接する空間のようにも見えたり、③の遠景に②の客室内が見えていたりと、どこかで繋がっているようにも見える。登場人物も、3つの場面通して同じキャラクターを演じているようにも見えるし。

    3場面とも意匠が美しく、退廃的。そして踊りやすいように、床がよく滑る。③に至ってはアクティングエリアにちょっとした防波堤が設けられ、薄く水が張られた中のアクロバットだったので、最前列客席には水しぶきがかかっただろう。(最前列にはビニールシート的なものが配られていた)

    場面ごとに大がかりな舞台転換がオープンな状態で行われ、①と②の間は10分で、基本的に観客はそのまま待機。②と③の間は25分で、こちらは休憩の表示が出る。
    ただ、場面転換中も、前の場面の登場人物がひとり、舞台上に常にいて、前の場面の余韻を残しつつ、ダンサーも手伝いながら舞台装置が次の場面に設えられていくので、これはこれで見どころが多く、自分も含め、着席したままで再開を待つ客も多数いた。

    ピーピング・トムの代名詞とも言える「身体の関節どーなってるの!?」的な軟体系の動きや、「躍動的」という言葉の範疇に留まらない、まるで重力が無いかのようにも見える動きは健在。あと、「強風に煽られそうになるのを必死に抵抗する」みたいな、重力と無重力が拮抗するような動きも。
    それ以外に、今回は、痙攣や脈動や速い反復のような動きとか、コマ送りで「だるまさんがころんだ」をやっているような動きが印象的。
    ほかにも、素足でつま先を折り曲げて歩く女性ダンサー、床を拭こうとするのに雑巾があっちこっちして雑巾を掴めない動き、寝ていてブリッジ状態で起き上がろうとするのに途中でまた寝た状態に戻るのを何度も繰り返す動き、二人羽織的に食事する場面、クローゼットの中から複数の人がなだれ込んでくる場面、裸で抱き合ったまま死後硬直したような2人を引き剥がそうとする場面なども、好きだった。

    ちょっとした屋台崩しっぽいことが起きたり、電車が走っているように窓の外の人が浮かんでは消え去っていく見せ方、ベッドから人が現れたり消えたりする仕掛け、水面に映る人や装置など、ダンサーの動き以外にも強烈な印象を残した。

    地元出演者が1名、踊るというよりは存在する感じで出演しており、年配の男性だったが、その男性が②のラストで泣く場面があり、その涙が足元に大きな水たまりとなって、そのまま③に場面転換。男性はダンサーに促されて何度か場所を変えながら、ずっとハンカチを目に泣いていて、その姿は照明で照らし出され、同時進行で大がかりな舞台転換が行われ、水たまりはちょっとしたプールとなり…という、地元の男性がとても重要な存在感を果たしていたのも印象的。

    (↓本作品ティザー動画2種↓)
    https://youtu.be/t1ZHY_J2RL0?si=a4duc-TR7yxuB-VL
    https://youtu.be/rlwTsVm9Nsc?si=o3MlInMRQFT_uc5s
    これを見れば、僕が書きたいことの何割かは分かってもらえるかもw

    今回、東京公演は見送って豊橋での観劇だったが、もし東京で観ていたら、豊橋でおかわりしていた可能性大。


  • 株式会社アミューズクリエイティブスタジオ『ここが海』@シアタートラム
    【2025/10/7 18:00〜19:40(途中休憩なし)】

    加藤拓也×橋本淳による、100分の濃密な舞台。3人しか登場しない作品なのだが、注意深く観察するように観ていないと、取り逃してしまうものが多い作品。
    シリアスなテーマと、饒舌な会話と、ふとした沈黙と、おそらく雄弁に語っていると思われる目の演技と、何気ない風景と。

    自宅はあるものの、長期で各地のホテルやコテージなどに滞在しながら生活する夫婦の岳人(橋本淳)と友理(黒木華)、そして17歳の娘・真琴(中田青渚)。夫婦ともライターを生業としていて、娘はオンラインで出席できる学校に在学しているもよう。
    ホテルの一室が舞台(舞台後半では設えが変わって、北海道と思われるコテージの一室になる)で、ホテルの部屋と舞台奥の間を、大きなカーテンで区切っていて、カーテンの向こう側が部屋の外の廊下に見立てられている使い方が良かった。ちなみに、物語後半では、その「舞台奥」は雪景色となり、部屋の外に見立てられる。

    物語としては、友理が「男性に性別変更したい」と告白したことを発端に、変化していく家族の関係性と、同じく変化していく友理の心身が、半年の歳月で描かれる。
    いわゆる「当事者」的な存在は、トランスジェンダーである友理なのだが、戯曲はどちらかというと、その当事者を受け止める立場である岳人に焦点が当たっているようにも見える。

    婚姻関係の妻が「男性になる」ということには、我々の想像以上のハードルが待ち受ける。世間の目も、法律も、制度も、優しくはない。
    そんな「妻」を、理解しようとし、受け止めようとし、関係を継続しようと岳人はもがくけれど、最終的には「離婚届に署名する」という選択肢となる。
    これは、単に「別れることにする」というよりも、「離婚することで諸々の手続きがしやすくなる(婚姻関係のままでは戸籍の性別変更はできない)」ということではあるのだが、「たかが紙一枚、されど紙一枚」なわけで、なんともツラい。婚姻届を書き終えたあとの岳人の眼差しが、やり切れなさを饒舌に物語る。

    娘の真琴が、両親が出した結論を割りと理解ある感じで受け止めているように振る舞っているのだが、たぶん彼女のなかにも色んな葛藤が渦巻いていて、でもそれを両親には見せないようにしていて、そのいじらしさとか、「自分が許容しているようにしないと物事が進まない」という一種のあきらめとか、そういうのが観客には見え隠れしていて、それもまたツラい。

    また、「友理は「恋愛対象は女性」の「男性」になりたいと思っている」のだと認識していたが、「岳人はゲイじゃない」と友里が岳人を突き放すように何度も言う場面があって、一瞬「?」となるのだが、このセリフは「岳人は恋愛対象が男性じゃない。だから私と一緒にいる理由にはならない」と、あえて「別れるための理由」を突きつけていたのかも…と考えると、その優しさが、切ない。

    ほかにも、真琴がお菓子の包み紙をソファの隙間に押しやる(そしてそれが大量にあったことが、後の場面で明かされる)のとか、真琴が友だちに唆されて薬物に手を出す(大事には至らずに済む)とか、岳人が耳を掻きすぎて耳から出血するのとか、岳人がトイレのあとに消臭スプレーをすることにやたらこだわるのとか、一見すると、本筋の「性別変更」に大きく関係しないエピソードも、伏線とは違うけど、巧妙に練り込まれた「岳人や真琴の無意識の自我」のようにも見えてくる。

    岳人役の橋本淳さんは、とにかく、間投詞や言い淀みや言い直しが膨大にある独特のセリフを自然に滑らかに発するのがすごすぎる。あの「(後方の客席にはもしかしたらしっかり聴き取れていないのではと思わせる)セリフとは思えないような普段使いな喋り方」は天下一品w
    あと、セリフがない時の、ちょっとした仕草やちょっとした目線などの、行間の体現具合が加藤演出にとても合っているのだと思う。
    ただ、17歳の父親にしては少し若い印象なのが惜しい。

    友理役の黒木華さんは、京女風のほんわかした感じが、場面を追うごとに男性化していくその様が予想以上で良かった。
    「頭では男性になりたいと思っている」→「治療を開始して若干の変化」→「憧れていた男性という性別に精神的にも近づいていく」→「本格的に変化が起きて性別変更の手術も視野に入れた状態」と、本当に男性ホルモンを注射して変化しているみたいで。「男性に変化しつつある女性」みたいな、ボーダー上にいるような表現が上手い。(演技だけではそこまで到達しない気もするので、黒木さんのもともとの気質的なものも作用しているようにも思う)
    黒木さんは、実年齢は橋本さんより下なのだが、黒木さんのほうが17歳の母親にも見えた。

    真琴役の中田青渚さんは、周囲の顔色をうかがう感じとか、心配させないようにその場を演じる感じとか、匙加減がちょうど良かった。
    ただ、17歳にしては少し大人すぎた印象もあり(実年齢は25歳)、「作品のリアリティ」という観点で言えば、俳優3人の演技そのものには非常に説得力があるものの、両親をもう少し年上の俳優にするか、真琴役がもう少し幼い印象の俳優にしたほうが、ビジュアル的な作品の説得力も増した気はする。

    後半の場面の、当事者たちではない外野を指す、「関係ない人のほうが強いからね」という友理のセリフが、とても印象に残った。

    それにしても、(たまたまだとは思うが)本作の折り込みチラシを全く見かけず、偶然流れてきたネットの情報で上演を知り、その時は既に前売開始後で、運良く予約出来たのだが、こんなに宣伝が絞られているような状態でも、満席になるのはさすがアミューズというか何というか。
    なので、出演者のファン以外は、嗅覚鋭い演劇ファンだけが来ているような感じで、客席の集中が極度に研ぎ澄まされていたような印象。(みんな、心して来ている感じw)

    帰路、『ここが海』というタイトルの理由を考えてみた。
    はっきりと明示するようなセリフは出てこなかったと記憶しているが、岳人が海が苦手な理由を話す場面があり、もしかしたら、友理の告白を受け止めた岳人にとって、告白の内容やその後の妻との関係性などが、「海の中にいるような居心地の悪さ、気味の悪さ」を表しているのかな、と思ってみたり。

    それにしても、チラシが二つ折りA4サイズで、中面にインタビューが掲載(特設サイトにも同じものが掲載)されているのだが、まあ、字が小さいこと。というか、あえて小さくして文字のギッシリ感、イコール、言葉では語り尽くせない感を演出してる…?