鳥公園♯15『終わりにする、一人と一人が丘』@東京芸術劇場 シアターイースト
【2019/11/23 14:00〜15:45(途中休憩なし)】

例に挙げる作家や劇団をそこまで詳しく知らないので、本当に、全くのイメージでしかないが、「ウィリアム・バトラー・イェイツ」と「チェルフィッチュ」を足して2で割り、そこに「マームとジプシー」風味をちょっとまぶしたような、そんな舞台だと思った。上演時間は休憩なしの1時間45分。
とりあえず、一般的な演劇とは異なる作風で、「心象風景」というか、「自分の頭の中を覗く別の存在がいる」というか、「誰が私で、誰が私じゃないのかが曖昧」というか。とにかく非常に散文詩的。
日常的な会話も出てくるのだが、モノローグもかなりの頻度で出てきていて、そこに関しては、もはやセリフというよりはポエムに近い。いや、もっと理系的なイメージだ。
そして、かなり緻密に練られて書かれた台本が存在するのだろうけど、観ている側からすれば「かなり書き散らした戯曲」という印象。それも、広告の裏だったり、ノートだったり、砂の上だったり……みたいに、あっちこっちに書き散らしている印象。「思い浮かんだときに、思い浮かんだことを、その場の何かにメモしている、自分だけが分かればいい書き方で」、そんな感覚に近い。
言葉を発する主体もまた、実態があるのか無いのか……みたいな感じで、たぶんわざと、不確実・不確定な要素を盛り込んでいて、いろんなことが確証を得られないまま観劇している感じ。もはや、眼前の舞台を、ただただ、眺めているしか術はない。
うーん、作品世界をうまく形容できない(笑) いちおう、話の本筋はある。ただそれが、一筋縄では展開していかない感覚。
出演者たちの衣裳は、ストッキングのような透け素材の全身タイツ風なもの。ただし、その下には、アンダーウェアなどを身に着けている。一人だけ(男性)普通の洋服(ただし、下半身はアンダーウェアに靴下という間抜けな感じ)。
劇の後半、「ひとりの女性が全身タイツ風なものも、アンダーウェアも全て脱ぐ」という場面があって、全てを脱ぐことが、作品において重要な要素を担っており、その女性は舞台上で全裸になる。
もちろん、それはいいのだが、僕が気になったのは、先のパンツ男性だ。彼は、劇の冒頭から2〜3回、入浴場面があったのだが、その場面では全部脱ぐし、それ以外では全身タイツ風衣裳を着ることはない。彼は作品世界において、ほかとは違う異質な存在であることを印象づけられていた。
ただ、腑に落ちないのは、彼は、全部脱ぐときは常に、局部だけは自分が着ていたTシャツでしっかりと隠していたことだ。これは、女性が全裸になったときでさえも。
男性も一糸まとわない姿になるべきじゃないかと思うのだが。 その方が、演出意図が明確になる気がする。なまじ隠していたために、別の意味が付いてしまったように思う。男性が、女性に対して「脱いでないじゃん」的なセリフで、女性は全身タイツ風な衣裳を脱ぎさる(ことができる)のだが、そこで男性は隠したままだと、「脱ぐ」ことの意味が違ってくるように思う。「さらけ出す」という意味合いなら、男性は劇の最初から「さらけ出せる」存在だったと思うのだが。
あるいは、「男性は、全身タイツ風なものは身に着けていないので、一見するとさらけ出しているように見えるが、やっぱり出しきれない部分があって、その意味では一番、往生際が悪い存在。一方、女性の方が、きっかけさえあれば、いとも簡単に自己を解放することができた」という意味なのか。
出演者は、それぞれに別の活動拠点がある人たちと思われ、つまりは「身に着けてきた演技観」がバラバラなのであるが、そのことが、この作品においてはあまりプラスには働いていないのかな、という気がした。「俳優と言葉の距離の取り方」、別の言い方をすれば、「発語するときの身体性」が、揃っているか、もしくは、感覚が近しい俳優で創るほうが、演出家のやりたい事を体現しやすいタイプの作品だと思った。そもそも、俳優に要求されていると思われる事が高度で、それに特化した俳優を育てて、作品を創るべきではなかろうか。
おそらくは、演出家が一本釣りで俳優たちに声をかけて集めたのだと思うが、やはり俳優の素地の違いが、舞台でのたたずみ方や、発語の仕方に出る。例えば、語尾を若干伸ばして喋る俳優と、きっちり言葉を置くように語る俳優と。リアルな日常会話が得意な俳優と、それが不得手な俳優と。フォーカスの取り方が甘い俳優と、しっかりと定める俳優と。
こうなってくると、なんだか様式が違っているように感じられ、作品の性質上、そのことが気になって仕方なかった。同じ場面で会話してるのに、ふたりが別の演技スタイルだと違和感しかない(そこまで大きくは違わないのだが、それぞれの優先順位が違うんだろうな、という気はする)。
実は観劇中、ずーっと作品世界に入っていけなくて(役というより作品に、共感できる感覚が皆無で)、ただただ眺めているしかなかったのたが、ラストシーンで、なぜかは分からないが、しっくりきた。収まりが良かったというか、相変わらず分からないんだけど、腑には落ちた。
全裸になった女性は、普通のワンピースを着て、もう全身タイツ風衣裳は身に着けていない。表情もこころなしか晴れ晴れとしている。そこで語り出す。正直、語った内容は覚えていない。でも、自信を持って語ることが出来るその姿勢、というか、脱皮したような感覚には、説得力があり、それだけは強く印象に残った。(ただ、それを見せるためだったとしたら、1時間45分は、少し長く感じられた)
鳥公園♯15『終わりにする、一人と一人が丘』
作・演出 西尾佳織
石川修平(劇団俳優座)
菊沢将憲
鳥島明(はえぎわ)
花井瑠奈
布施安寿香(SPAC)
和田華子(青年団)
舞台美術 中村友美
音響 中村光彩
音響操作 秋田雄治
照明 中山奈美
照明アシスタント 須賀谷沙木子
衣裳 清川敦子(atm)
舞台監督 熊木進
ドラマトゥルク 朴建雄
演出助手 島村吉人(人の味)
宣伝美術 鈴木哲生
制作 古川真央、谷陽歩、神林遥(syuz’gen)
当日運営協力 菅井一輝(officecassini)、久保田紗生、藤田侑加、syuz’gen
提携 公益財団法人東京都歴史文化財団、東京芸術劇場
助成 公益財団法人セゾン文化財団
協力 城崎国際アートセンター(豊岡市)、劇団俳優座、はえぎわ、エスアーティスト、SPAC-静岡県舞台芸術センター、青年団、六尺堂、atm、人の味、officecassini
本公演
2019年11月21日〜24日 東京芸術劇場 シアターイースト
試演会
2019年10月20日 城崎国際アートセンター (KIAC)









