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演劇界に生きる男の観劇記録

SPAC-静岡県舞台芸術センターで俳優やってます!

倉敷幼稚園→粒江幼稚園→粒江小学校→倉敷南中学校→総社南高等学校→大阪教育大学

関心あるモノ・コト = 演劇/LEGO/昭和歌謡からJ-POP/字を書くこと/フィギュアスケート鑑賞/温浴施設めぐり/乗り鉄/旅行/睡眠

豊岡演劇祭2025フリンジセレクション/多田淳之介 × やどりぎ座『For Encounters』@豊岡稽古堂3階交流室
【2025/09/21 14:00〜15:25】

「限りなくスポーツに近いパフォーマンス」というのが観終わった時の最初の感想。

(おそらく)観客には説明されない暗黙のルール的なものがパフォーマー間で共有されていて、「そのルールに基づいてパフォーマンスをしてみたらどうなるか」、その実験結果が作品として提示される感じ。
スポーツは、「ルールは存在するがゲーム内容は毎回異なる」わけで、これの身体表現版というイメージだ。
(フィギュアスケートや体操など、芸術点の存在するスポーツは、あらかじめ演技内容を決めているので、アドリブ的な場面もあるだろうが、そちらは台本のある演劇に近いと言えるだろう)

ノンバーバルでセリフもなく、動きのみで構成されるため、内容的にコンテンポラリーダンスと言えなくもないが、おそらく本作は「運動」としての「身体表現」であり、「踊り」とは根本的に異なる根っこから生まれた表現のように感じられた。

パフォーマンスのなかでも白眉だったのは、何度も繰り返され、パフォーマーの心身が激しく消耗されていく「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」だろう。ある意味では、かなり酷な、容赦のない演出。
5人が、それぞれに色々な動きを一回性で行うなか、曲がかかる。曲が終わって再度頭から曲が再生されると、曲がかかった時の最初のポジションに戻って、さっきと同じ構成の動きを繰り返す。ただそれだけ。

しかし、「曲がかかるたびに振り出しに戻って1曲分の動きを何度も繰り返す」という「パブロフの犬」的な人体実験感のあるパフォーマンスでもあり、曲中のフレーズ「ライフ・ゴーズ・オン」をある意味で体現するようなパフォーマンスでもあり、「何気なく決めたルーティーンを、自分の意思と関係なく繰り返す」ようでもあり、まさしく「生きていく」ということが濃縮されたようなパフォーマンスだった。
(おそらく)決まっている振り付けではなく、「1回目に曲が流れる時にやった動きを、再度曲が流れたら、同じようにやる」という趣旨だと思うのだが、これは、「1回目にやったことを何度も繰り返す」のではなく、「前の回にやったことを繰り返す」というルールなのだろう。(1回目と2回目で異なっていた時、3回目は2回目を踏襲しているように見えたので)

このパフォーマンスでさらに面白かったのは、5人5様の向き合い方が見られたことだ。
なかでも、河村さんが「無我になる」ことへのためらいの無さが突出していて(もしくは「無我になっている」ように見せるのがすごく上手いだけなのかもしれないが)、曲がかかるたび、その心身を迷うことなく空間や作品に捧げ、まるで水晶のような輝きを見せていた。しかも、回を追うごとに輝きと純度が増していく。
「疲れた」とか「またか…」とか「どうだっけ?」みたいな瞬間がほぼ見えず、「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」の世界に潔く飛び込める、その無垢な身体性がとても良かった。
(もしかしたら、多田さんがこのパフォーマンスで求めたものは、違うところにあるのかもしれないけど)

河村さん以外も、それぞれの個性が表れていて、良し悪しということではなく、「(それぞれが)違っていることの面白さ」が感じられた。「無我になろうとする意思が垣間見える」「迷うと一瞬思考停止になる」「瞬間瞬間を切り捨てられず引き摺る」などなど。

「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」のあとの、「相手の出方をうかがいつつ仲間になっていく動き」とか、「つながったり離れたりする動き」とかは、まさにタイトルである「ENCOUNT(出会い)」であり、5人が小動物のように見え、微笑ましくもあった。

静岡での上演だと、たぶん出演者の身体性や考え方を知っている観客が多いと思われ、それはパフォーマンスにとっては味方になってしまうというか、「パフォーマーの個性」を楽しむ側面が強くなるだろう。一方で、そのメンバーである必然性に対する興味は薄まる可能性がある。
しかし、豊岡での上演だと、出演者のことをよく知らない観客が多くなるわけで、「パフォーマーの個性」も楽しめるが、純粋に「作品としてのパフォーマンス」を楽しむ側面が強くなるように思った。

つまり、ざっくり言うと、「この5人である必然性」が求められる、ということだ。
静岡版は未見なので比較できないが、結果的に今回の5人は、作品におけるアンサンブルとしてうまく機能していたように思う。
(もしかしたらもう一人、清楓さん系統の向き合い方の男性がいても良かったのかもしれない、とは思ったが)


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