観るのも演るのも日々是好日!

演劇界に生きる男の観劇記録

SPAC-静岡県舞台芸術センターで俳優やってます!

倉敷幼稚園→粒江幼稚園→粒江小学校→倉敷南中学校→総社南高等学校→大阪教育大学

関心あるモノ・コト = 演劇/LEGO/昭和歌謡からJ-POP/字を書くこと/フィギュアスケート鑑賞/温浴施設めぐり/乗り鉄/旅行/睡眠

第36回全国高等学校総合文化祭 優秀校東京公演@新国立劇場中劇場

2日間で4校の演劇部の上演。(このほかに、郷土芸能と日本音楽の、それぞれの優秀校の上演・演奏もある)
演劇の公演は、今年の夏の全国大会での、最優秀校1校と優秀校3校からなり、今年は長野県松本美須々ケ丘高等学校が最優秀に選ばれている。
各校とも、上演後に出演者のインタビュータイムがあって、その司会進行を城西大学附属城西高等学校の生徒が担っていた。2日とも同じ生徒が司会進行を務めていたが、ある意味では、彼女がこの2日間のMVPだったかもしれない。彼女は何者だろう?(放送部なのかな?)淀みのない、堂々とした、上手く観客を巻き込んでいく進行ぶりを忘れることができないw


『キャベツはどうした?』兵庫県 神戸常盤女子高等学校
【2025/8/23 14:30〜15:30】

脚本は悪くないのだが、生徒たちのセリフ回しにちょっとクセがあり、いわゆる「いかにも高校演劇で上手いと言われそうなセリフ回し」なのが、終始気になってしまった。

高校生にとっては少し難しい課題なのかもしれないが、「物理的な意味での相手に届けるセリフ(ボリュームとか滑舌とかエネルギーとか)」と、「相手の身体を意識しながら相手に伝えるセリフ」は、似て非なるものだ。今回の場合、「届いてはいるが、伝わってはいない感じの言い方」というか。
設定にフィクション性があるならそれでも成立する可能性があるが、今回の戯曲の設定的には「進路に悩む女子高校生の日常」なので、セリフ回しにフィクション性は付きすぎないほうが良いと思われる。
ただ、保護者の小池役は、存在に少しフィクション性がある設定なので、こちらについては、あの少し誇張したようなセリフ回しでも問題なく、これで生徒たちのセリフ回しが自然体だったなら、小池のキャラクターはもっと活きていただろう。

ユーカ役の上半身の硬さ(肩が少し上がって若干猫背気味)も気になるところ。役柄の設定と実際の立ち姿に、ちょっと距離がありすぎたかも。

トモエの母親の衣裳(割と派手な色の上下セットのパンツスーツ)と牧村先生の衣裳(膝上丈のタイトスカートのツーピース)が、大人感という意味では分かりやすくはあるのだが、リアリティという観点でいうと、あまり現実的ではなかったかも。
特に母親は「キャリア感」みたいなものが出てしまって、「お金に苦労している家庭」感に乏しく、「こういう場合はむしろ、カーディガンとかではなかろうか」とも思う。
(小池は、あの派手な緑のツーピースだからこそ成立しているのだけど)

しかし、ラストのクレモンティーヌの「♪キャベツはどうした」に良くも悪くも、全てが回収されすぎてしまったような気が…しないでもない。


『愛を語らない』長野県松本美須々ケ丘高等学校
【2025/8/23 15:50〜16:50】

もともとは2020年に創作された作品で、コロナ禍での上演中止などを経て、バージョンアップして再演に臨み、全国大会で最優秀を射止めたらしい。
メインの役柄は数名存在するものの、コロス的に全員で語り継いでいくタイプの演出。舞台装置は、そう広くはない八百屋舞台といくつかの椅子と机のみで、小道具もペンと原稿用紙以外はほぼ使われず、無対象演技で見せていく。
柴幸男の『わが星』や『あゆみ』あたりの作風に少し近い感じもある。

昭和初期に活躍した文豪・柴山鉄山の娘・亜伊が、父について書いた自伝的小説「父・柴山鉄山」という作品を戯曲化。柴山鉄山のクズっぷりの半生を追いつつも、娘・亜伊がアイデンティティを確立していく過程や、家族や周囲の人間との確執みたいなものも描かれる。
ただし。柴山鉄山もその娘も架空の人物なので、彼の半生自体フィクションであり、その意味では完全に創作された物語である…のだが、「柴山鉄山は実在する」というスタンスで終始上演され、種明かしもされないまま終幕となるので、何も知らずに観た観客は、柴山鉄山という作家の存在を信じてしまうと思う。その仕掛けっぷりが秀逸。
(なお、劇中には、ほかの文豪や著名人、文芸作品なども出てきて、それらは実在するので、柴山鉄山にまつわる部分のみが巧妙にフィクション化されている)

「私生活の全てを作品に書く」という信条の鉄山が、唯一作品に書かなかったのが娘の亜伊で、それが「鉄山が娘を愛していた何よりの証拠」、というところから来ている『愛を語らない』のタイトル。上手い。
ラスト、鉄山の遺稿が見つかるもエロ小説だと分かり、その原稿を舞台上にばら撒く。そのカタルシスたるや。そこへ持っていくまでの55分も素晴らしい。
BGM的な音楽は流れるものの、効果音は基本的に全て俳優たちが音声化しており、そのチョイスや音色も非常に良い。

高校演劇の範疇を軽々と超えた作品であり、エンタメ性もあって見応えのある作品なのだが、過去の最優秀作品、例えば昨年の徳島県立城東高等学校『その50分』と比較してみても、いわゆる社会派的なメッセージ性や、「高校生の等身大の現実」みたいなものはあまり描かれていない。こういう「娯楽性がクローズアップされるタイプの作品」が、今年の最優秀に選ばれたことに、少し意外性は感じた。良い悪いの問題ではなく。


『はしれ、たくしぃ!』北海道網走南ヶ丘高等学校
【2025/8/24 14:30〜15:30】

今回観劇した4作のなかで(実は一番期待値は低かったのだけど)、最も印象に残り、素直に「いいなぁ」と心から思えた作品。間違いなく今年の個人的ベスト5に入ると思う。できればもう1回観たい!個人的最優秀。

タクシーの中で生まれたという生い立ちを持つ「山本拓志」。舞台俳優の夢を追うも夢破れて地元に戻った拓志が、タクシー運転手になって間もないところからスタートして退職するまでを、12のエピソードで数珠つなぎ的に見せていく。
オムニバス風でもある演出だが、「やりたい事を仕事には出来なかったけれど、誇りを持ってタクシー運転手を全うした、一人の男(と、相棒のタクシーと、拓志一家)の半生」をコメディタッチで描いた、「大河ドラマ風の壮大な作品」とも言える。

高校生等身大の悩みでも、社会性の強いメッセージでもなく、ある意味では「高校演劇っぽくない」テイストなのだが、それを高校生たち(しかも達者)が演じてみせることに、とても意味&意義がある舞台だったと思う。
少し抽象化された(それでも一目でタクシーと分かる)舞台美術やその多様な使い方、タクシーの車体の擬人化にも、拓志の中の天使と悪魔にも見える「タクシーA」「タクシーB」という役柄の設定、場面によって車の向きを変える構成、空間やシルエットの使い方。どれも良かった。
もちろん、稚拙な部分も多少はあるのだが、それが些末に思えるほどの出色の演出で、演劇でしか表現できないこと、現役高校生だからこそ表現できることを、これでもかと見せつけてくれた。

タクシー役の2人の身体表現が、大きな印象を残す。磨かれたあとのI字バランスや、掌でのウインカーの表現、ほかにも、座席になったりドアになったり車のトランクになったり。

しかし、何と言っても、主役の拓志を演じた浮須くんが当たり役とも言えるハマりっぷりで、セリフ回し、表情、動き、どれをとっても素晴らしかった。わざとらしさを感じさせずに、ちゃんとインパクトのある演技が出来る。
声質もすごく良くて、若者っぽくもあり、オジサン感もあり。雰囲気も、朴訥さがあるのに洗練さも感じさせる、希有な存在感。彼を主役に据えたことでこの作品が成功している、と言っても過言ではない。
車の運転なんて未経験だろうに運転動作もよく研究されていたし、演じる上での役柄と本人の距離の取り方も、近すぎず遠すぎず抜群で。
ひとつひとつのセリフや動きが、見ていて愛おしくなってくる感じで、観客のハートを掴む才能に長けている。愛すべきキャラクター性。
その上、18歳なのに「もう人生2周目です」みたいな悲哀の表現とかどうなってるの?と問いたい。そして、年齢を重ねるにつれてちゃんとそれらしく年老いて見えてくるのも、高校生でなんでそこまでできるの?と問いたい。(終演後の幕間インタビューでの受け答えも、そこらの青年より大人だし)

エンタメ色の強いコメディタッチなのに、後半からは涙が止まらず…。これは、自分がその分、人生を重ねているからというのもあるだろうけど。
中でも、2回目のタクシーデートの場面では、その舞台上から溢れんばかりの多幸感と、それまでの場面の走馬灯感ゆえに涙腺決壊し、拓志とタクシーの別れ際では、タクシーの2人が、「さようならー!」ではなく「バイバーイ!(しかも大声でかすれ気味)」だったのも沁みた。あそこであえての「バイバーイ」の無邪気さは、切なさマックスだよ。今思い出して、また涙。

「しっかり生きてかなきゃな」とか、「思い描いた人生と違ったとしても不幸になるわけじゃない」とか、観た人の人生をそっと励ましてくれるような、そんな作品だった。そんな舞台を高校生が見せてくれるなんて…とまた涙w
いやー、ホントにいい舞台だったなぁ…(「青春舞台」で放送されないのがもったいない!)


『あの子と空を見上げる』青森県立青森中央高等学校
【2025/8/24 15:50〜16:50】

鬼が住む島に人間・モモカが転校して来る。モモカは疎外されていたが、鬼のコスズと友達になる。時間をかけて交流を育み、鬼とか人間とか関係ないほどに、彼らは仲良くなる。しかし、ひとり、またひとりと、島に人間が増えるにつれ、鬼と人間の対立は激しさを増していき…というようなストーリーを、コミカルな場面も挟みながら描いていく。
ただ、ベースに描かれているのが「笑えない問題」なので、時折訪れるコミカルな場面では、笑うことが非常にためらわれ、どう観たらいいのか迷ってさえしまう。「いっそコミカルさを排除してもらったほうが観やすいのに…」とも思う。
ラストはほぼ戦争状態で、多くの犠牲者が出る中、モモカも犠牲となり、コスズが残され、空を仰ぐ場面で幕。

作中の鬼と人間の、どちらが日本人なのか。桃太郎のエピソードのみならず、いじめ問題、人種差別、ホロコースト、植民地支配、奴隷貿易、移民問題、ウクライナやパレスチナの紛争など、様々な歴史や事実に置き換えながら見ざるを得ない。
一方から見たもう一方は敵となり、それは立場によって逆転し、被害者と加害者の関係性はシーソーのように。誰かが対立を止めたくても、止められる時もあれば止められない時もあり、個と集団の問題にも。
(ただ、個人的には、ちょっとやり過ぎというか、入り込みすぎな気もしていて、もう少しオブラートに包む感じの構成でも良かったのでは?とも思う)

また、鬼は赤、人間は白のTシャツを着ているのをはじめ、全体的に描き方が直接的すぎる(分かりやすすぎる、とも言える)感じもあるため、そのあたりで観客の好みは分かれるだろう。
とっても大事な問題だし、真剣に考えるべきメッセージでもある。それは間違いない。間違いないのだけど、悪い意味で道徳っぽくもあり、そのあたりが、本作が最優秀では無かった一因かもしれない。

舞台装置を使わず、多くの出演者は何役か兼ねており、コロス的な群衆シーンも多く、相当練習を積んだと思われるが、その成果は発揮されていた。

BGMをパートごとに声で表現したり、空襲警報っぽいサイレン音を声だけで表現したり、セリフ以外の声表現が印象的。


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