観るのも演るのも日々是好日!

演劇界に生きる男の観劇記録

SPAC-静岡県舞台芸術センターで俳優やってます!

倉敷幼稚園→粒江幼稚園→粒江小学校→倉敷南中学校→総社南高等学校→大阪教育大学

関心あるモノ・コト = 演劇/LEGO/昭和歌謡からJ-POP/字を書くこと/フィギュアスケート鑑賞/温浴施設めぐり/乗り鉄/旅行/睡眠

第3回滋企画『ガラスの動物園』@すみだパークシアター倉
【2025/3/26 19:00〜21:45(途中15分間の休憩あり)】

初日を観劇(目撃)。2時間45分の大作も、その長さを感じさせることのない(あるいは、その長さである必然性が感じられる)、良い舞台だった。圧巻と言ってよかろう(奇跡、とも言う)。今年のベストステージのひとつであることは確実。
「悔しい」「羨ましい」なんて感覚も、もちろん湧いたけど、何よりも「脱帽」「満足」という気にさせられる。

『ガラスの動物園』って、ちょっとお高くとまってる感じというか、小洒落た小難しい印象があって、少しだけ苦手な戯曲だったけど、それをこんなに鮮やかに、親しみやすく見せてくれるとは!これまでの印象は、ただそういう演出に陥りがちなだけだったんだと気づくw(ロマンティックにやり過ぎるか、演出家の過剰な思い入れが強すぎるか、その両方か、になりやすいタイプの作品なのかも)
演出は、ヌトミックの額田大志氏(音楽も)。決して奇をてらったものではなく、どちらかと言えばオーソドックスというか、たぶん正面突破系なんだけど、要所要所の小技が利いているのだろう。全体のざっくりした印象は、会場の感じや空間の使い方も相まって、かつてのt.p.t.(デヴィッド・ルヴォー、あるいは、ベニサンピット)を思い出した。(演技的には違うけどw)
なお、ヌトミックは恥ずかしながら未見なのだが、俄然、興味が湧いた。

遠近法により距離感をも視覚化した床、上手手前に設えられた上階へと伸びる階段(劇中で使われることはない)、本当に外界から入ってくるジム、休憩前後で入れ替わる舞台の前と奥、黄水仙のブーケに仕込まれたマイク、ところどころ色褪せたアマンダのドレス、ジムの前でのみ描写されるローラの足の不自由さ、本当に蝋燭だけの明かりになる場面、そこからゆっくりと動き続けるムービングライト…
場面ごとに、選択された手法やプランのひとつひとつがピタッとハマっていて、出演者も含め、「相当、脚本の分析に時間をかけたのだろうな」という印象。

そして何より、出演の4人が、4人共に素晴らしい。「真摯に役と向き合い、遊び、やれることをやり、やるべきことをやっている」という、「いたって俳優としての任務を全うしているだけ」なのだが、「これがいかに難しいか、ということが推察される演出だった(だから「スゴイ!」となる)」ということなのかもしれない。
4人共が「4者4様のアプローチによる、リアリズム芝居ともまた違う、その先のリアル」を体現していたように見えた。客席に対象を取って喋るような場面もあるし、演劇的な嘘を取り込んだ演出もあったりして、その意味では厳密には「リアル」ではないのだが、なんというか「その時々の感覚」はどこまでもリアルなのだ。

前半でヒロイン然とした見せ方を与えられず、地味な印象のローラ(原田つむぎ)は、だからこそ、ジムとの蝋燭の場面で一世一代の輝きを放つ。前半で「ガラス細工の動物園」を必要以上にフィーチャーしない演出も良かったし、確かに、戯曲通りに演出するなら、ローラは魅力的に見えすぎてはいけないわけで、前半は地味で目立たない、空気のような存在である必要がある。むしろ、ジムが出てくるまでは、アマンダのほうがこの作品のヒロインであるべきなのかもしれない。

時折、(個人的には、いとうあさこが重なって見える)キレの良いテンションを放つアマンダ(西田夏奈子)は、毒親さを醸し出しながらも、それはやはり哀れで、でも同時にチャーミングな印象を与える。リアリズム風なヒステリックになり過ぎていないのが成功していた(ある意味では「アマンダ・ショー」でもあったw)。電話勧誘の場面と黄水仙の場面は、間の取り方や芝居掛かったセリフ術が上手く活きた、名場面に。アマンダの場面で爆笑が起こるってどういうことよ!?(賛辞です)

徹頭徹尾「紳士」イメージを体現したかのような、それでいて罪な男を全うするジム(大石将弘)は、ローラの緊張を解きほぐして自信を与える場面では、優秀なカウンセラーのようでもある。一方、キスシーンのあとで我に返る「俺、何やってんだろ…」的な我の返り方では、「演劇の一回性」を正しく表現し(なんであんなに「用意してない感覚」で演技ができるのか!w)、どこまでもナチュラルゆえに、去ったあとの「場の喪失感」が凄まじい。

そして、何よりも、トム(佐藤滋)が良い。ヤラれた。
冒頭、観客を見つめる眼差しに、慈愛と謙虚と少しの後悔が入り混じったように見え、朴訥に語り始める声のトーンと響き具合で、一気に『ガラスの動物園』の世界へ引き込まれる。冒頭のセリフに、泣ける要素なんてそんなに無いのに、佐藤さんの佇まいと語り口に泣かされる。儚く、美しい、語り。
以降も、劇中のところどころで、トムだけが場面から抜け出した状態で会話が続いたりする(共演者は、その場にトムが居るというテイで会話が続く)のだが、その時の佐藤さんの、「役に入り込み過ぎない」、ある種「乾いた」感じのセリフの発し方も、作品に効いていた。(もちろん、その場に居るときは、その瞬間を生きるように演じている)
ラストの、蝋燭が消えるところも良かったなぁ。
(あと、当日配布物の挨拶文も、すこぶる良い。演劇を、仲間を、観客を、愛していることが伝わってくる)

音楽も、照明も、良い。これはもう、百聞は一見にしかず、なのだが、闇が美しく、無音が雄弁で、そこへもっていくための音と光。こういう感覚は初めてに近いかも。


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