こまつ座 第135回公演『フロイス―その死、書き残さず―』@紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA
【2025/3/25 18:00〜20:35(途中15分の休憩あり)】

作品の内容というよりも、スタッフや出演者に惹かれて観劇したところが大きいのだが、下地になっているものが井上ひさし氏の原作『わが友フロイス』であるとはいえ、やはり、井上ひさし作品とは肌ざわりが異なる。
率直に言えば、「こまつ座作品感が乏しい」。
作品のクオリティは悪くない。長田氏の脚本もよく書けていると思う。安定の栗山演出だし、出演者も好演している。
だけど、こまつ座というよりは、新国立劇場あたりの新作という印象で、舞台そのものには問題はないのだが、「こまつ座として、仕上がりがこれで良かったのかな?」という疑問は残った。
何をどうしたら井上ひさし的になるのか、上手く言えず申し訳ないが、「何かが違う」「何かが足りない」のだ。
登場人物の機微を描き込みすぎてしまった…のかもしれないし、もう少しドライにまとめて物語を外側から見る視点が欲しかった…ような気もするし。
舞台装置や照明も、少しぼんやりとした印象で、可もなく不可もなく。
ルイス・フロイスが来日して、布教活動を進める中、将軍が信長から秀吉に替わり、キリシタン弾圧の憂き目に遭い、26聖人殉教に至るまでが描かれた作品。フロイスを慕った者たちも、それぞれに非業・無念の死を遂げ、フロイスだけが残される…
当時の「布教」「改宗」が意味するものや、当時の日本人にとっての「神」や「楽園」のイメージ、キリスト教徒に対する世間一般のイメージ…そういった事も考えながら作品を味わう必要があるのだが、そのあたりのイメージを、劇中で上手く説明できているとはいえ、出演者6人だけで提示するのはちょっと高度すぎた気もする。
逆に言えば、扱っているテーマが大きすぎて、しかも、時間軸に沿って物語を描くには、フロイスを主軸に据えざるを得ないので、異国人が主役となるわけで、なかなかその世界観に没入しにくく、出来事・事象の総覧にならざるを得ない作品だったようにも見えた。(テーマや内容のボリュームに対して上演時間が短い、ということかも)
本作における正しいフロイスの造形については、おそらく、そのストライクゾーンはかなり狭く、「演じられるフロイスの印象によって作品の印象が大きく変わる」感じがした。
そのフロイスを演じるのは風間俊介さん。難役を、丁寧に真摯に演じてはいたが、彼の俳優としての良さはあまり活きていなかったかも。(むしろ、彼がこういった役どころを演じると、かえって二面性があるように見えてしまう傾向あり)
そして、明確な根拠はないのだけど、玉置玲央さんや亀田佳明さんあたりが演じたほうが、役柄的にはしっくりきたかもしれない。
フロイスに感化され、自分の人生を自ら切り拓いていくことになる島の娘「かや」は川床明日香さん。朝ドラ『虎に翼』で寅子の娘役を好演していた時、「ポスト綾瀬はるかっぼい感じの女優だなぁ」と思っていたが、舞台での感じも若干、綾瀬はるか感。
一方で、同じ「ニコラモデルオーディション出身者」だからというわけでもないのだが、岡本玲さんを彷彿とさせるような「真っ直ぐで無垢な熱演ぶり」が感じられ、舞台女優としての今後が気になる存在。
出演者6人のなかでは、久保酎吉さんと増子倭文江さんだけが、こまつ座への出演歴があり、このふたりの存在感が、今回の舞台では大きな柱となっていたように思う。井上ひさし的な、シリアスとコミカルの使い分けや、演技の緩急が、このおふたりは心得ていらっしゃった。年齢的なものもあるかもしれないが、おふたりが出てくると、熟成とか重厚とか、そんな空気が漂う。
(ほかの方々は、切れ味はシャープでスッキリしているのだが、青い果実という感じで、硬質で無臭な印象)
決して悪くない。良質で、意欲的であり挑戦的な作品である。
しかし、今回の上演にピンと来ない人がやはり多いためか、集客がいまひとつで、後方4分の1ほどが空席ではあった。
あと、そもそも、この前後で観た『やなぎにツバメは』と『ガラスの動物園』が格段に良すぎたために、相対的にこの舞台がぼんやりと霞んだ印象になっただけ…という可能性も、ある。
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