身体の景色 カタリ vol.5@遊空間がざびぃ
【『蜘蛛の糸』『なめとこ山の熊』『トロッコ』『瓶詰地獄』2025/3/5 19:00〜20:50(途中5分間の休憩あり)】
【『雀』『羅生門』『銀河鉄道の夜』2025/3/6 15:30〜17:10(途中5分間の休憩あり)】

8人の俳優による13作品の一人語りの企画(生演奏が付くものと付かないものがあり)。回によって上演作品の組み合わせが異なる。本シリーズは、過去にも何回か拝見しているが、今回は2ステージ(7作品)を鑑賞。
どの作品も、装飾のないシンプルな小空間に身ひとつで立ち(座り)、身体表現などを挟みつつも、基本的には「語る」ことに重きを置いている。
キャパは25席ほど。(回に応じて椅子の増減があるのかもしれない)
以下、作品ごとに簡単に。
『蜘蛛の糸』芥川龍之介【田中志歩】
赤い布を血の池地獄に、グレーの布を蜘蛛の糸に見立て、極楽と地獄を連想させる演出。お釈迦様と罪人との違いを、表情豊かに表現(多少、顔で表現しすぎな気もしなくはないけど)。
お釈迦様の声色や造形が優しく穏やかな感じだったが、オーソドックス過ぎたか。もう少し、お釈迦様の表現の可能性を観てみたかった気もする。
語り始めの「極楽は丁度朝なのでございましょう」と、語り終わりの「極楽ももう午ひるに近くなったのでございましょう」が、実はこの作品の肝のひとつだと、個人的には思っているのだけど、ここももう少しいろんな可能性を観てみたかったかな。
同じ芥川作品の『二人小町』あたりが向いてそうな印象のパフォーマー。
『なめとこ山の熊』宮沢賢治【末次由樹】
変化球勝負というよりは、シンプルで直球勝負な演出。登場人物の多い作品だが、良い意味で「声優並み」な演じ分け感があって、特に、熊の親子の会話の場面でキュンキュンしてしまった。(新美南吉作品とかも聴いてみたい感じ)
「無駄がない」「癖がない」ということが、非常に良い方向へ作用した作品に感じられた。「宮沢賢治に対する個人的な思い入れ」みたいなものが少なかった分、押し付けがましくなく、ストレートに言葉や文体が伝わってくる良さもあった。「書かれている感覚には寄り添いつつ、書いている作者とは距離を取る」みたいな。
『トロッコ』芥川龍之介【オカノイタル】
相変わらずの非常に臨場感のある仕上がりだったが、以前に鑑賞した時よりも遊びの度合いが増えていて、そこは少し好みが分かれるところかも。(僕は嫌いじゃない)
会話の部分で低音を使うせいか、地の文の語りで高音が多くなるのも、気になるほどではないが別のアプローチもありそうな感じ。
前回に鑑賞した時が「みかん畑」だとしたら、今回はなぜか「ゆず畑」な印象w(甘さが少し減った、みたいな…)
『瓶詰地獄』夢野久作【大西玲子】
原作を読んだときから、「これを朗読作品にしたらどうなるだろう」という興味があったので、まさにこのタイミングで鑑賞してみたかった作品。
「3→2→1」の順で手紙が書かれたという一般的な解釈に基づいていたようにも見えたが、演者もそういう感覚で語っていたのか、それとも、演者が観客をミスリードしていたのか、本当のところは分からない。
「やはり、一筋縄ではいかない作品だな」という印象。演者がどうこうというのではなく、単純に「語られる言葉としてのテキストが手強い」という意味。「音声としてテキストを提示する場合は、ただ語る以外の何かが必要なんだろうな」とか、「男性が語るとどうなるのかな」なんてことも考えながら観ていた。
今回の上演そのものはよく出来ていたけど、もう少し中性性っぽい雰囲気でも良かったのかも。
『雀』太宰治【清水幹王】
緊張感とか少しオドオドした感じが伝わる舞台だったが、結果的に、その感覚が作品にうまくリンクしていた気もする。煮え切らない感じの太宰感、とでも言おうか。
ただ、声のトーンの変化が乏しく、無理に技巧的に変えられるよりは良かったものの、もう少し声の出し方(それはつまり、身体の変化ということでもあるが)に幅があると、なお良かったか。語りのメロディーも、マイナー調に偏りがちにも思えたので、メジャー調を多用しても良かったのかも。
『羅生門』芥川龍之介【オカノイタル】
「土曜ワイド劇場・下人は見た!羅生門の秘密」みたいな仕上がり。語りを聞いていると、色々なBGMが勝手に聞こえてきそう。
それくらい、語りの背後に奥行きがあるというか、想像がたくましく広がっていく感じ。「夕闇の羅生門に、時折風が吹いて、落ち葉などが舞っている」そんな景色が見えていた。
「その言葉でそう遊ぶのか」とか「そのメロディーはどうやって生み出されたの?」みたいに、面白い試みがあちこちに。老婆のキャラも秀逸だ。
『銀河鉄道の夜』宮沢賢治【中村優子・ピアノほか演奏Darie】
原作を3分の1ほどにテキレジしてあるのだが、カットが気になることなく、「あれ、こんなに短い作品だったっけ?」と錯覚するほどの自然な仕上がり。「文章(言葉の意味やつながり)でカットしている」のではなく、「身体や呼吸を元に、身体や呼吸が自然に流れるようにカットしてある」印象で、目の前の肉体に無理がないように見えたためだろう。
中村さんは、良い意味で発声にクセがなく、耳触りが非常に良い。身体も、凝ったことをしなくても形が決まるというか、何気ない動きでも絵になる。指先とか、手の角度とか、目線の高さとか、細部への意識も無意識に出来ている印象。ジョバンニの母になった瞬間は、顔つきが杉村春子のような雰囲気をまとい、大女優感も醸し出し。カムパネルラ父もカッコよかった。ジョバンニの慟哭のあとで、スッと自然な語り口の声に切り替えられのも素晴らしすぎる。
ただ、ひとつ欲を言うと、「語る<演じる」の傾向が強かったので、動きや道具の使い方なども含め、もう少しビジュアル面の演出が抑えめのほうが、この企画の趣旨には、より合っていたかも。
ピアノを中心とした、声を含む楽器の生演奏はDarieさん。楽器の音や声も、もうひとつの出演者という感じで、しかし、中村さんの語りとは喧嘩をすること無く、同調しすぎることも無く、拮抗した関係性での関わり方が良かった。音が入ってくるタイミングなんかも、すごく良く考えられていて、中村さんの肉体を見ることなく演奏しているのに、語りと演奏は文字通り「息が合っている」。
上演は40分ほどだったと思うのだが、もう少し聞いていたいような声と身体と音楽で、耳が非常に喜んだ作品。
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