劇団山の手事情社 二本立て公演『マクベス』『オセロー』@シアター風姿花伝
『マクベス』【2025/2/22 16:00〜17:15(途中休憩なし)】
『オセロー』【2025/2/22 19:00〜20:15(途中休憩なし)】

※それぞれ単独での上演ではあるが、交互での上演という企画で、両方観劇したので、まとめての投稿に。
『マクベス』
これは山の手の特質だと思うのだが、セリフが非常に明晰で、かつ、「語る」ことが徹底的に意識されていて、聞いていてとても気持ちがいい。
だから…ということもあるが、エモーショナルが最小限に抑えられているというか、感情表現に対する抑制が非常に効いていた。感情面を出し過ぎてしまうと、男性性/女性性がわりと明確になってしまう演技になってしまうと思うのだけど、そのあたり、「男性/女性である前に一個の人間」感が出ておりオールフィメールという形での上演にも関わらず、女優であることが全く気にならない演出だった。マクベス役以外が皆、同じデザインの同じ柄のシースルーな衣裳だったのも、フェミニンではありながら、女性らしさが強調されすぎず、非常に良い選択だったと思う。
テキレジが良い意味で挑戦的で、「単にあらすじを追う」とならず(そのため、『マクベス』初心者には人物相関が少し分かりづらいかも)、「こういうものを見せたいんだ」「このセリフを聞かせたいんだ」というような、演出を担当した斉木氏の、作品に対する意思のようなものが透けて見えた。そして、出演者たちも、それをきちんと汲み取って演じているように感じられた。
なかでも、マクベス役の中川佐織さんの、息を詰めるようなセリフや、ささやき気味のセリフであっても、「一音も無駄にすることなく捨てることなく、想いを語り尽くす」みたいな意気込みが、役の本質と上手く重なって、非常に感動を覚えた。良質な集中で演技をしている感じ、とでも言おうか。クライマックスの「明日また明日また明日と…」の独白も圧巻。
演出面では、丸いお立ち台のようなスペースと一段下がったその周囲だけで処理し、ミニマムな空間で工夫されてはいたが、舞台が進むにつれ、絵柄の変化が限られてしまったのがもったいなかったか。幻想的な照明も効果的で美しかったのだけど、そこも、後半で少し変化が欲しかったかも。
冒頭とラストの、円形舞台の周りをゆっくりと歩く人たちの、後ろ足を蹴り上げるような動きが美しく、印象に残る。
『オセロー』
デズデモーナの魂(山口笑美)が「結末に至るまでの経緯を回想する」という感じの演出で、オセロー(山本芳郎)が亡くなった姿を幕開きで見せ、その後、原作の冒頭部分から始まる。「作品における『白と黒』」にこだわった演出で、黒い椅子と白い椅子や、デズデモーナの魂の純白のドレス、イアーゴーの頬の黒いあざなど、ビジュアル面でも明確に。
ただ、白のほうを少し取り上げすぎたというか、デズデモーナの魂のほうに比重や思い入れを置きすぎた感じもあり、黒のほうの演出がもう少し「ドス黒く」ても良かったかな、とも。策略や嫉妬までもが「美しく」描かれすぎてしまった気が。
二本立ての中では、『オセロー』のほうが、四畳半スタイルのような動きも多用されていたり、ルパム的な振付が何箇所か挿入されていたり、コミカルな要素も少しあったりと、より山の手事情社らしい印象。
山本芳郎さんは、動いたときに身体が決まるまでの時間が誰よりも短く、身体が決まった状態でのセリフ中は全く身体がぶれず、とにかく、身体の見せ方や扱い方が抜群に上手い(セリフは言うまでもなく)。
客席に対しての身体の角度の取り方とか、相手との身体の距離の取り方とか、もはや、AIかセンサーでも付いているのではなかろうかと思われるほどに、「そうだよね、それがベストの選択だよね」的に最適解を叩き出してくる。もちろん、長年かけて培われて身に着けたものだろうけど。
あと、何よりすごいのが、「他の出演者が山本さんに比べて見劣りする」とならないことだ。山本さんの独り舞台にならない。突出していながらも、馴染んでいる。レベルを落として馴染むわけでもなく、山本さんは山本さんでありながらも、「俺、上手いだろ」感が無く、真摯に共演者と対峙している。その感覚は本当に尊敬に値する。
だからこそ、共演者も文字通り「胸を借りて」果敢に挑んでくる。その「真っ直ぐさ」「がむしゃらさ」もあって、山本さんと並んで見劣りすることが防がれているのかもしれない。先輩と後輩の俳優の理想的な関係性のひとつだろう。
『マクベス』に比べると、『オセロー』は「クラッシック」な印象の舞台で、『マクベス』が不協和音的なロックだとすれば、『オセロー』は交響曲的だ。原作の作品世界的には逆の印象もあるのに、そこが今回の二本立てでは、逆転しているように見えるのも面白い。
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